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せつなとあたしはおでこをくっつけ合って、少し、笑った。 何て事しちゃったんだろう、と言う大きな後悔。大好きな人と 気持ちが通じあった、大きな喜び。 いろいろな思いが渦巻き、泣きたいような、笑いたいような不思議な気持ち。 「…ごめんね。」 もう一度、あたしは謝る。どんなに謝っても足りないのは分かってる。 でもそれしか言えないから。 「…うん。でも、もうこんな乱暴なのはやめてね。」 結構、辛かったんだから。と少し冗談めかして、せつなは含羞む。 「やだ、私…。」 「…わはー……。」 せつなは今更ながら自分のはしたない姿に気付いたように 服の前を掻き合わせ羞恥に耳まで真っ赤にしている。 パリッとしていたワンピースは見る影もなくくしゃくしゃで、 汗やその他諸々で汚れて、かなり悲惨な状態だ。 (わはー…、何かせつな、すんごいえっちぃんですけど。 いや、ひん剥いたのはあたしなんすけどね…。) 「どうしよう、これ。」 血の染みが付いたワンピースを摘まんで少し途方に暮れる。 買って貰ったばかりの服を汚してしまったのを気に病んでいるらしい。 「あー、だいじょぶだよ。これコットンだし。すぐに洗ってアイロン掛ければ!」 洗ったげるよ!貸して。と服を引っ張ろうとするラブに、 「あっ、やん!」 裾を押さえて抵抗する。 下、何も着てないんだから!と赤い顔で上目遣いに少し睨まれ ラブの顔も負けず劣らず赤くなる。 ついさっきまで、あーんな事やこーんな事をされてたのに 何を今更…と言う気がしなくもないが、どうやらそう言うものでもないらしい。 「…シャワー、浴びて来てもいいかな。」 そりゃそうだよね。恐らく身体中エライ事になってるんだから。 そりゃあ早くさっぱりしたいだろう。 「そだね!お湯、もう張ってあるから!ゆっくり入ってきなよ!」 そう言った途端、くしゅん!ラブがくしゃみをした。 考えなくてもラブも巻いていたバスタオルはとっくに落ちて、すっぽんぽんだ。 ある意味せつなより恥ずかしい。 クスリ、とせつなが笑い、 「じゃあ、一緒に入っちゃおうか?」 「!!ふぇ?!」 先に行くね。ぱさっ、とラブの頭に落ちてたバスタオルを掛けて、せつなは バスルームに向かった。 (一緒にって、一緒にって…?!) ラブは先ほどのせつなの言葉を反芻する。 『もう、こんな乱暴なのはやめてね。』 って事は、乱暴にしなきゃオッケー!って事すかね?! かぁっ!と全身が熱くなり、心臓が口から飛び出しそうにバックンバックン 脈打っている。 今こそ真の勝負の時!ラブの本能がそう告げていた。 大好きな人と(無理矢理ではあるが)体の関係を持ち、(順番が逆だが)気持ちを 確かめ合い、(普通はこれが最初だろうが)告白もした。 (これで二人は両想い!晴れてラブラブ恋人同士…!) のはず。 しかし、問題が一つ。 せつなは今回の事がラブが慣れない深刻な悩みに耽った挙げ句の暴走。 つまりは非日常、普通ならあり得ないイレギュラーな出来事と捉えて いないか、と言う事だ。 それは困る。大いに困る。トチ狂って暴挙に出てしまったが、 ラブとしては、ここまでやったからには付き合い始めの恋人らしく 日常的にあんなコトやこんなコト……できなきゃ意味がないのだ。 (それに、えっちは気持ち良くなきゃ! このままじゃ、えっちがトラウマになっちゃうかも!! そんなのせつなの為にも絶対良くない!!!) そのトラウマを植え付けたのは間違いなく自分なのだから 『責任取らなきゃ!』 ラブはいつものポジティブシンキングを取り戻しつつあった。 (ようし!!) ラブの体に闘志がみなぎる。 (待ってて!せつな!!女のヨロコビ、ゲットだよ!!!) 了
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「日本を訪れていた、めくるめく王国ご一家が、本日帰国の途に就きました。」 夕食の後片付けをしていたせつなは、テレビから聞こえてきた声に、顔を上げた。画面には、たくさんの見送りの人々に囲まれた国王と王妃、それに二人の間でニコニコと手を振るジェフリー王子の姿が映っている。 「今回の滞在は比較的長く、ご一家は日本を満喫された模様です。 中でもジェフリー王子は、その流暢な日本語のみならず、綿あめや輪投げといった日本の庶民文化にも通じているなど、その日本通ぶりで我々を驚かせ、喜ばせてくれました。 何と言っても、その愛らしい笑顔に魅了された人は、数知れません。」 各地を巡ったときの、ジェフリーの映像が流される。縁日らしき場所で、綿あめを口にする姿。小学校の子供たちと、サッカーをする姿。そのあどけない、そして心から嬉しそうな笑顔を見て、せつなも自然に頬が緩んだ。 「やっぱり可愛いよねぇ、ジェフリーは。ねっ、せつな。」 隣りにやってきたラブが、そう言ってせつなの顔を覗きこむ。その妙にニヤニヤとした楽しそうな視線から、せつなはプイと顔をそむけた。 「私は、別に。」 「あれ~?せつな、何だか赤くなってない?」 「なっ、そんなこと・・・」 「ホントに可愛いわね~、この王子様。見ているこっちまで幸せになっちゃうわ。」 あゆみの言葉に、せつなは慌ててラブに言い返す言葉を飲み込む。同時に、あゆみがあのときの祈里と全く同じ台詞を言っているのに気付いて、可笑しくなった。 クスリと笑って、もう一度テレビに目をやる。場面はまさに帰国直前、国王の顔を見上げてひとつ頷き、特別機の機内へと入っていくジェフリーの姿だ。 (あれ?何だか・・・。) 一瞬の後に消えた、ジェフリーの映像。が、その消える間際の彼の姿に、何だか以前会ったときとは違う何かを感じて、せつなは小さく首を傾げた。 四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~ Episode6:タルト、またまた危機一髪!?(前編) その事件の始まりに、最初に気付いたのは祈里だった。いや、正確には、このところ祈里が毎朝散歩に連れていく、三匹の小型犬だった。 朝早く、病院の夜間通用口にもなっている横手の狭い扉から外に出たとき、一足先に外に出た三匹が、いつになくキャンキャンと騒ぎ立てたのだ。何事かと顔を上げると、その場から足早に立ち去るジーンズの片足が、かろうじて祈里の目に留まった。 三匹が、祈里の顔を見上げて物言いたげにクゥンと鼻を鳴らす。周りに人の気配が無いことを確認してから、祈里はその場にしゃがみ込んで、三匹と視線を合わせる。 「なぁに?何かわたしに、伝えたいことがあるの?」 優しい声でそう問いかける彼女の肩の上に、キルンがポン、とその姿を現した。 ☆ その次に気付いたのは、ラブとせつなだった。ダンスレッスンに向かう途中、二人は顔なじみの花屋のお姉さんに呼び止められたのだ。 「ラブちゃん、せつなちゃん。今日、おたくのフェレットのことを訊きに来た人がいたわよ。あのペットスクープの騒ぎ、まだ続いてるの?」 心配そうに尋ねられ、ラブとせつなは顔を見合わせる。タルトがスクープされてしまった事件は、もう一週間も前のこと。アニマル吉田はちゃんと約束を守ってくれて、あれからタルトの周りは、至って静かだった。 「そう。何も無いのなら、良かったわ。ちょっとしつこかったから、気になってたの。勿論、ラブちゃんたちが飼い主だなんて言ってないわよ。」 「それって、マスコミの人ですか?」 ラブの問いに、お姉さんは切り花のバケツの水を替える手を止めて、少し考えた。 「う~ん、マスコミの人には見えなかったけど。膝のところが破れたジーパンに、Tシャツ姿で・・・それと、何だかゆっくり喋る人だったわ。」 記憶を辿ってそう教えてくれたお姉さんに、ありがとう、とお礼を言いながら、二人の頭の中は、疑問符で一杯だった。 ☆ 「えぇっ!?ブッキーの病院がぁ?」 「怪しい男に見張られている、ですって?」 「どういうこと?」 ラブ、美希、せつなの三人に詰め寄られて、祈里は困ったように、視線を足元に落とす。 「理由はわからないけど、ワンちゃんたちがもう三日連続で、病院の周りをうろうろしている男の人を見た、って言ってるの。 お父さんに話して、警察にも連絡したんだけど、ただウロウロしているってだけじゃ、警察もなかなか動いてくれないらしくて・・・。」 祈里の言葉に、三人はそれぞれ険しい顔で考え込んだ。 急に静かになったせいか、蝉の声が辺りを包むように響き渡る。四人がいるのは、四つ葉町公園の石造りのベンチ。これからダンスの朝練なのだが、その前に祈里が、今朝犬たちから聞いたことを全員に話したのだった。 「まさか・・・あのペットスクープ絡みってことは、ないよね?」 ラブの言葉に、美希が目を丸くする。 「え・・・?だって吉田さん、家族に喜んでもらえるペットスクープを目指す、って言ってたじゃない。」 「いやぁ、そうなんだけどさぁ。・・・実はあたしとせつなも、ここへ来る途中、ちょっとヘンな話を聞いたんだ。」 ラブの説明を聞いて、美希の顔はより一層険しく、祈里の顔は、より一層心配そうになる。 「とにかく、朝練が終わったらブッキーの家に行ってみましょう。何か分かるかもしれないわ。」 せつなの言葉に、三人ともしっかりと頷いた。 やって来た三人を部屋に招き入れ、祈里は勉強机が面している窓を開ける。そこからなら、病院の横手――今朝男が立っていた、夜間通用口の辺りを見渡せた。 「あの辺りに立って、病院の中を覗いていたらしいの。」 「あそこから覗いたら、何が見えるの?」 「入院している動物さんたちの、ケージが並んでいるんだけど。」 「ってことは・・・もしもペットスクープ絡みだとしたら、あそこにタルトがいると思って?」 美希が眉をひそめる。そのとき、 「あ。誰か来たわ。」 ずっと窓の外に目をやっていたせつなが、冷静な声で言った。 四人で窓からそっと外を窺う。祈里の言った通り、夜間通用口の隣りにある窓から、男が一人、建物の中を覗き込んでいた。 白い半袖のTシャツに、ジーンズ姿。それでも暑いのか、しきりに額の汗を拭っている。どうやらまだ若い男のようだ。 「ブッキー、あの人?」 ラブの問いかけに、祈里は自信なさそうに首をひねる。 「うーん、今朝は、ジーンズがちらっと見えただけだから・・・。」 「少なくとも、ラビリンスではないみたいね。」 少しホッとした様子で呟くせつな。反対に、ラブはいつになく真面目な顔で、男の姿をじっと見つめた。 「ねえ、せつな。花屋さんが言ってたのって、膝が破れたジーパンにTシャツ姿、だったよね?」 「なるほど・・・。同じ人かもしれないわね。」 せつなが厳しい表情になる。 「でも、上でも向いてくれなきゃ、顔がはっきりとはわからないわね。」 美希がそう言って溜息をついたとき、男が苛立たしげに左手を上げて、ガシガシと頭を掻きむしった。 美希が、あ、と小さく声を上げる。 「あの腕時計・・・。」 「腕時計?」 せつなが不思議そうに美希の顔を見てから、もう一度男を見やる。男の左手首には、ビニールのてかてかした青いベルトが巻かれていて、それには確かに小さな文字盤が付いている。まるで子供がしているような、いかにも安っぽい腕時計だ。 「あの時計、どこかで見た気がするんだけど・・・。どこだったかしら。」 ラブが美希と一緒に、うーん、と考え込む。 「えーっと・・・モデルさんの衣装で、付けたことがあるとか?」 「いくらなんでも、あんな・・・って言い方は失礼よね。でも、現場で見たわけじゃないわ。」 「じゃあ街中で、誰かが付けているのを見たとか?」 「ごめんなさい、思い出せないわ。でも、どこかで見たのよね・・・。」 美希に続いて、ラブと祈里もガックリと肩を落とした。 「ねえ、ラブ。お花屋さんは、ゆっくり喋る人だった、って言ってたわよね。」 せつなが男から目を離さずに、ラブに話しかける。 「うん、そうだったね。」 「その割に、あの人ずいぶんイライラしているみたい。何かを急いで手に入れたくて、焦っているようにも見えるわ。」 「それが・・・タルト?」 ラブが不安そうにそう言ったとき、美希が鋭く囁いた。 「あ、ほら。動くわよ。」 男が相変わらず髪をくしゃくしゃと掻き乱しながら、くるりと向きを変えた。そのまま表通りの方へ、スタスタと歩いていく。 「追いかけよう!」 言うが早いか部屋を飛び出すラブに、せつな、美希、祈里が続く。だが、四人が表へ出たときには男の姿は既に無く、辺りをいくら探しても、見つけることはできなかった。 ☆ ラブたちが不審な男を探していた、その少し後のこと。 当のタルトは、四つ葉町公園の一角で、ガックリと肩を落としていた。近くに浮かんでいるシフォンが、その様子を不思議そうに見つめている。 「なんやぁ。カオルはん、店休んでんのかいな~。今日一日ドーナツが食べられんやなんて、ホンマ殺生やで~!」 楽しみにしていたドーナツカフェのワゴンはどこにも見当たらず、公園がやたらと広く感じられる。仕方なく、タルトは元来た道をトボトボと戻り始めた。 「ピーチはんもパッションはんも、毎日ダンス、ダンスでワイにかもうてくれへんし。つか、二人のアイス食べてもうてから、なんやワイに冷たい気ぃがするんやけど。自業自得っちゅうヤツなんかなぁ。」 誰もいないのを幸い、ぶつぶつと独り言を言うタルト。と、突然その顔が引きつった。いつの間にか何者かが、目の前に立ちふさがっていたのだ。 「わわわわ・・・な、なんやぁ?」 目の前には、紺色の長い棒のようなものが二本。視線を少し上げてみると、破れ目から膝小僧が覗いている。さらに上へと目を走らせると、そこにあるのはこちらを覗き込んでいる男の、満面の笑み・・・。 「どわっ!」 思わずしゃべってしまったことに気付いて、タルトは慌てて口を押さえる。同時に、大勢の人間によってたかって・・・それも笑顔で追いかけられた、あのときの恐怖がよみがえってきた。 急いでシフォンを背中に乗せると、四つ足になって走り出す。笑顔の主は、何事か叫んだかと思うと、彼の後を追って走り出した。その予想以上に素早い動きに、うなじの毛がピーンと逆立つような緊張感が、タルトを襲う。 (うわぁ、堪忍したってぇな~!) ところが、公園を出たところで後ろから聞こえてきた言葉に、タルトは思わずずっこけそうになった。 「待ってぇ、そこのナマモノ!言葉しゃべるのか?お前、幸せになれるナマモノか?ちょっと、待て~!」 (ナマモノやない!イキモノやがな。セイブツでもええけど、ナマモノは無いで。あんさん、漢字の読み方、間違うとるで!) 声には出せないので、心の中でツッコミを入れる。気を取り直して足を速めようとするタルトに、声はなおも追いすがった。 「幸せのナマモノ~!お願いです。俺様、みんな幸せにしたい。タイムリミットまでに、どうかお願い。一緒に、来ヤガレ!」 (丁寧なんか乱暴なんか、そもそも何言うてるんか、さっぱりわからへん!でも・・・ワイがしゃべっても、この人、それには動じひんみたいやなぁ。) タルトは意を決してくるりと後ろを向いた。そして、まだ少し距離がある男に呼びかけようと、息を吸い込む。 その時、急に男の動きが止まった。怯えたように辺りを見回すと、最初に目に付いたらしい脇道に飛び込む。そして男はタルトを置き去りにして、一目散に走り去ってしまった。 「・・・なんやぁ?あれ。」 「キュア~?」 目をパチクリさせるタルトとシフォンの鼻先を、自転車に乗ったお巡りさんが、のんびりと行き過ぎていった。 ☆ そして、そこには実は、もうひとり。 公園のベンチで昼寝をしていた西隼人は、ドタバタと何かが走り回る物音に、たまらず目を開けた。足音だけでなく、彼が大嫌いなあの言葉までもが、何度も聞こえてきたような気がする。 「ううむ・・・。この世界の人間どもは、なんてしつこいのだ。よし!今度こそ、そいつを捕らえてモフモフ・・・いや、不幸のゲージ、上げさせてもらうぞ!」 叫ぶと同時にベンチから跳ね起きる。タッと地面に降り立った隼人の目の前には、真夏の午後の強い日射しと、ざわざわと揺れる濃い緑。 「スイッチ!って、あれ・・・だぁれも居ねぇ・・・。」 彼の呟きをあざ笑うかのように、ツクツクボウシが高らかな声を響かせ始めた。 ☆ 疲れ切ったタルトが、シフォンを連れて桃園家に戻ってきたとき、謎の男の捜索に行き詰った四人も、ラブの部屋に集まっていた。 「タルト!良かったぁ、無事に帰ってきて。大変なんだよっ!」 「ピーチはん!ちょっと聞いてぇな。今日は大変やったんやぁ!」 我先に話を進めようとするラブとタルト。せつながラブを、美希がタルトを押しとどめ、祈里が両方の話を整理して、ようやく全ての話が繋がった。とは言っても、分かったことと言えば、どうやらみんな同じ男に振り回されていたらしいということと、男の狙いはやっぱりタルトらしいということ、その二つだけだ。 「それにしても、タルトのことを『幸せの生き物』だなんて、どこからそんな話が出てきたのよ。」 美希が不思議そうに首をひねる。ペットスクープで騒がれたのは、おへそが無い、ということだけで、そんな迷信じみた話が出てきた覚えは無かった。 「ほら、あのとき商店街にビラが撒かれたでしょ?どうもあれを見た人たちが、そんなことを言い出したみたいよ。」 「それでウエスターが、ナケワメーケでタルトを狙ったりしたわけね。」 祈里の言葉に、せつながやっと納得がいったというように、小さな声で呟く。 「じゃあ、あの人もその話を信じて、タルトを狙ってるってこと?本気でそんなこと信じるかなぁ。」 怪訝そうな表情のラブに、祈里が静かに首を振った。 「珍しい動物が、幸福の象徴になるのはよくあることなの。有名なところでは、昔から、白い蛇はとても縁起がいい、なんて言われてるわ。」 「へぇ~!」 「だからぁ、ワイは動物やない。可愛い可愛い妖精さんやぁ!その上、蛇と一緒にするやなんて・・・。」 不満そうなタルトの呟きは、祈里の話を感心して聞いている三人には、残念ながら届かなかった。 「それで、これからどうする?このままじゃ、タルトが危険よね。」 美希が眉をひそめて、三人を見回す。しかし、タルトは尻尾をゆらゆらと左右に振りながら、のんびりとした調子で言った。 「せやけど、アイツ、そないに悪いヤツには見えへんかったで。なんやワイのこと、誤解しとるようやったけどな。せやから、ちゃんと話して誤解さえ解ければ・・・」 「なに呑気なこと言ってんのよ!」 バン、と机を叩いて立ち上がったラブの剣幕に、タルトは思わず縮こまる。その身体がふいに抱き上げられたかと思うと、うるんだ大きな瞳に、至近距離から覗き込まれた。 「狙われてるのは、タルトなんだよ?ホントにわかってんの?タルトが・・・あたしたちの大切な家族が、また危ない目に遭ったら、あたし・・・。」 そこまで言うと、ラブは耐え切れなくなったように、タルトをぎゅっと抱きしめた。 「あたし、この前タルトが病院から居なくなったとき、すっごく心配したんだからね。あんな思い、もうしたくないよ。」 「ピーチはん・・・。」 早くも泣きそうになっているタルトの頭を、せつながちょんと指で小突く。 「そうよ。だから今度ばかりは、心配かけないでよね、タルト。」 「ここまで言われちゃ仕方ないわね、タルト。今度こそ大人しくしてなさい。」 「そうそう。またラブちゃんとせつなちゃんに追いかけられても、助けてあげないんだから。」 「みんなぁ・・・。」 美希と祈里も加わって、タルトの涙腺は、あっという間に崩壊した。 ☆ 次の日の午後。 二日ぶりに店を開けたカオルちゃんは、近付いてくる人影を見て、あれ?と意外そうな声を上げた。 「いらっしゃい。珍しいね、お嬢ちゃん一人?」 「ええ。でも、多分みんなともまた後で来ます。今は、タルトの分を買いに来たの。」 少しはにかんだ笑みを浮かべたせつなが、静かに店の前に立った。 タルトの好みを知り尽くしているカオルちゃんが、ドーナツを手際良く紙袋に詰めていく。 「へぇ。兄弟がそんなに大人しくしてるなんて、珍しいことがダブルで来たね。グハッ!」 話を聞いて、相変わらず軽~い口調で返すカオルちゃんに、せつなは苦笑する。が、 「まぁ、それだけ心配されてるんじゃ、仕方ないか。兄弟は幸せモンだよねぇ~。」 そう言って笑うカオルちゃんを見て、何やら考え込んでしまった。 あれから四人で相談した結果、せつなたちは、やっぱりあの男を探すことにした。もしかしたらタルトの言う通り、ちゃんと話せば誤解が解けるかもしれない。それでタルトを追いかけるのをやめてくれれば、それが一番いい。そう思ったからだ。 ただし、タルトはこれには加わらず、シフォンと留守番していること。そして、もし誰かが彼を見つけたら、必ず他の三人に連絡して、四人揃ってから声をかけること。この二つを必ず守ろうと、約束した。 あゆみと圭太郎にも、タルトを探し回っている人物がいるらしいと告げた。これには、二人に心配をかけるだけなのではないかと、せつなは最初、反対した。だがラブは明るく笑って、 「タルトはうちの家族だもん。お父さんやお母さんに話すのは、当然だよ。」 と言い切った――。 「あの。」 せつなが思い切った様子で、カオルちゃんに声をかける。 「心配されるって、幸せなことなんですか?私には、大切な人を苦しめるだけなんじゃないかって思えるんですけど。」 カオルちゃんは、ポカンとした顔でせつなを見てから、やがてその口元を、わずかにほころばせた。 「う~ん、そうだなぁ。心配ってのは苦しいし、長くて重い心配ってのも、世の中には五万とあるだろうけどね~。」 空を仰いでそう呟いてから、彼はせつなに向き直る。 「お嬢ちゃんさ。この前兄弟が騒ぎに巻き込まれたとき、心配した、って言ってたよね。あのとき、どんな気持ちだった?」 え・・・と目をパチパチさせてから、せつなはうつむいて、あのときの自分の気持ちを思い出す。 「とっても不安で、ドキドキして、タルトの具合が良くならなかったらどうしよう、具合の悪いタルトがもしも見つからなかったらどうしようって、そんなことばっかり考えて・・・。」 「それから?兄弟が見つかって、どう思った?」 「お腹も大したことないってわかって、無事に見つかって。凄くホッとして、安心して・・・。」 「うんうん。その、元気で無事でいる兄弟の姿、心配してる間、頭に浮かばなかった?きっとこういう姿でいてくれるって、そういう祈るような気持ち、なかった?」 「あ。」 せつながわずかに顔を上げる。その様子を見て、カオルちゃんは口元に小さく笑みを浮かべた。 「不思議だよね~。毎日元気でいるのがあったり前の人が、たま~に具合悪くなったりするとさ。また元気になったとき、それがあったり前なのに、妙に嬉しかったり、ありがたかったりするんだよね~。」 カオルちゃんはそう言いながら、トントンと袋の中のドーナツを落ち着かせる。そして袋の口を真っ直ぐに二回折り曲げると、折り目をしごいた右手の人差し指を、そのまま袋の右の角に載せた。続いて左手の人差し指を、左の角に載せる。 「こっちが最悪で、こっちが最高だとしたらさ。誰だって、この間のどこかにいるんだよね。」 カオルちゃんが、左手の人差し指で袋の左の角をつつく。 「こっちの、最悪の怖さにばっかり目が行っちまうのが『心配』ってヤツでさ。でもほら、こっち。」 今度は右の人差し指で反対側の角を叩いて、カオルちゃんは言葉を続ける。 「こっちの、最高・・・は難しいかもしんないけど、いいときの相手を知ってるから、心配も出来るのよ。いつかこっちの、いい状況になれるに違いない、いや、今はもう「いいとき」になってるかもしれないって、そんな希望があるからさ。 そもそも最悪しかないって完全に思ってたら、心配したくたって、出来ないもんね~。」 そこでニヤリと笑って、カオルちゃんはもう一度、袋の折り目を左から右に向かって丁寧にしごいた。 「そんな風に、いいときの――最高の自分を思い描いてくれる人がいたら、苦しめて申し訳ないって気持ちと一緒にさ。嬉しくて、ありがたくて、何とかそんな自分になれるように頑張ろうって、オジサン思うな~。」 真剣な顔で頷くせつなの耳に、あのときのラブの声がよみがえる。 ――せつなを独り置いて行けないよ。あたしだって、せつなが心配なんだからぁ。 あのとき・・・ドームで倒れたせつなを、医務室で介抱してくれたときの、ラブの言葉。ラブが思い描いてくれた「いいとき」は、あのときは偽りのものでしかなかった。 今はどうなんだろう。ラブは自分のどんな姿を、「いいとき」の自分と思ってくれているんだろう。そして今の自分は、そんな姿に少しでも、近付くことができているんだろうか。 「お嬢ちゃん。」 黙り込んだせつなに、カオルちゃんはまた能天気な声で話しかける。 「最悪にばっかり目が行っちまうのが『心配』って言ったろ?じゃあさ、最高にばっかり・・・時には、最高の最高、もーっと向こうにまで目が行っちまうのは、何だと思う?」 「え・・・?」 困った顔をするせつなにもう一度ニヤッと笑って、カオルちゃんは袋の左の角を三角に折る。 「じゃ、これは宿題な。ヘンなたとえに使っちまったから、最悪の角はまぁるくしとくから。あ、これ三角か。グハッ!」 ドーナツの袋と宿題と、それから何だかぬくもりまで一緒に手渡されたような気がして、せつなは少し照れ臭そうな笑顔で言った。 「ありがとう・・・カオルさん。」 途端にカオルちゃんの眉毛が、情けないくらいにカタッと下がる。 「お嬢ちゃん、カオルさんはやめてよ~。オジサンのコードネームは、カオルちゃん。そこんとこ、よろしく!」 ぐっと親指を立てる男を、「カオルちゃん」と呼び直すのは恥ずかしくて、せつなは真っ赤な顔でぺコンとお辞儀をすると、早足でドーナツカフェを後にした。 四つ葉町商店街に差し掛かると、向こうからラブが駆けてきた。今は四人それぞれ手分けして、昨日の男を探していたのだ。 「せつな~!何か手掛かり見つかった?あ、ドーナツ!嬉しいなぁ。あたしのために買ってきてくれるなんて、感激だよぉ!」 一気にまくしたてるラブに、せつなは悪戯っぽく笑って、ドーナツの袋をさっと背中に隠す。 「だ~め、これはタルトの。一日中家に居て退屈してると思うから、せめておやつに、ね。」 「そっか。そうだよね。タルト、きっと大喜びするよ。」 その言葉を聞いてふっと真面目な表情になったラブは、しかし次の瞬間、甘えるような上目遣いでせつなを見た。 「でもさぁ、こんな大きな袋ってことは、何個もあるよね?じゃあじゃあ、一個だけ~」 「ダメ!」 せつながきっぱりとそう言ったとき、ドーン、という破壊音が、辺りに響いた。 「何の音!?」 二人の空気が、一瞬で張り詰める。 「こっち!」 ドーナツの袋を抱えて駆け出すせつなに、ラブも続いた。 天使の像の方向に、盛大な土煙が見える。ドーン、ドーンという破壊音も、近付いてくる。やがて建物の陰から現れたものを見て、ラブとせつなは凍りついた。 淡いグレーの身体に、太くて長い尻尾。水色の襟飾りは、今は何だか刺々しいものに変化している。 「・・・な、なんでっ!?」 「・・・まさか、そんな!?」 呆然とする二人に、その生物・・・いや、怪物は、 「ナケワメーケ!!」 辺りを揺るがすほどの咆哮を上げた。 ~前編・終~ 新2-064へ
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風が止んだ。 強い日もある。弱い日もある。 でも、まるで空気が動かない日なんて、いつ以来だか思い出すこともできない。 燦然と輝く太陽。しかし、時折、通り過ぎる暗雲が大地に影を落とす。 上空では、緩やかな風が流れているのだろう。 白い雲は高く、黒い雲は低く、高低差のある雲が別々の速さで移動する。 二色の雲の隙間から、光の筋が後光となって十字に走る。 畏敬すら感じる雄大な空の景観。初めて見る空の異変に、せつなは本能的な恐怖を感じていた。 「せつな、どうしたの? 急がないと遅刻しちゃうよ?」 「ええ、ごめんなさい。ねえ、ラブ。台風の前っていつもこうなの?」 「う~ん、よくわからないよ。あたしは雷が鳴らない限りは気にしないし」 「雷も怖いけど、もっと良くないことが起こりそうな気がするの……」 授業が始まっても、せつなは空模様の移り変わりが気になって、ずっと窓ばかり見ていた。 それは他の生徒も同じようで、先生も特に注意しようとしない。 不自然なくらい静かだった外の様子が変わっていく。 再び風が吹き始め、上空の青空を包むように、南から本格的に厚い雲が押し寄せる。 パラパラと小雨が振り出した時点で授業は中断され、昼を待たずして全校生徒は帰宅を命じられた。 「あ~あ、今日の給食楽しみだったのにな」 「もう、ラブったら。それどころじゃないでしょ?」 せつなが、普段とは表情の違う商店街を眺めながらたしなめる。 人々の笑顔と、幸せが集まる場所。それがクローバータウンストリートだった。 道を歩いているだけでお店の人から声をかけられたり、挨拶したり。買い物する人、散歩する人で賑わって。 そんな喧騒は鳴りを潜め、シャッターを閉じた店舗ばかりが並び、閑散とした雰囲気が漂う。 「開いてるのは、日用品と食料品のお店だけね」 「うん、おかあさんは遅くなるって言ってたね。水とかがよく売れるからって」 流石に、ラブも不安そうに街の様子を見渡す。 台風は、毎年、必ずと言っていいほどやって来る。でも、今回は超大型と呼ばれる規模の大きいものだった。 大事な街、大切なお店の数々。二人で空を見上げながら、大きな被害が出ないことを祈った。 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。空が荒れる日――』 桃園家の庭で庭木の支柱を立てていた圭太郎が、手を止めて帰宅したラブとせつなを迎える。 既にアンテナの補強を済ませ、ゴミ箱や鉢植え等も、全て家の中に移してあった。 「お帰り。ラブ、せっちゃん」 「ただいま、おとうさん」 「おとうさん、お仕事じゃなかったの?」 「お母さんから連絡があってな、早引きして帰ってきたんだ」 「そっか、予報よりも早く荒れそうだもんね」 「私も何か手伝うわ」 庭の手入れや大工仕事は圭太郎に任せて、ラブとせつなは溝と排水溝の掃除を受け持った。 準備の遅れている近所の家の手伝いもしていたら、あっという間に夕方になった。 既に空は分厚い雲に覆われていて、太陽なんてどこにも見えない。 それなのに、空が赤い。 夕日とは異なる光景。一面に広がる雲が、絵の具でも落としたかのように真っ赤に染まっていた。 「明日が本番らしいが、今夜から荒れるかもしれないな。ラブとせっちゃんはもう家の中に入っておくんだ」 「おとうさんはどうするの?」 「僕は今からお母さんを迎えに行く。そろそろ終わる時間だろう」 「あたしも行こうか?」 「私も行くわ」 「ありがとう。でも、まだ風も雨も弱いから大丈夫だ」 圭太郎を見送ってから、ラブとせつなは万一に備えた避難用具をカバンに詰めていく。 懐中電灯・ローソク・マッチ・携帯ラジオ・予備の乾電池・救急薬品・衣料品・非常用食料・携帯ボンベ式コンロ。 全部入れたら、ちょうど大きなカバン四つになった。 「こうしてみると、なんだか旅行の準備みたいだね」 「そうね、役に立たないといいのだけど……」 空の色が赤から黒に変わってきた頃、あゆみと圭太郎が帰宅した。 外の雨はますます激しくなっていて、二人ともレインコートを羽織っていた。 「ただいま。ラブ、せっちゃん」 「遅くなってしまったよ」 『おかえりなさい!!』 家族が揃ったことで、ようやくせつなにも笑顔が戻る。 あゆみの買ってきた食材で、三人で夕飯を作ることにした。 「今日はゴーヤと、じゃがいもを買ってきたのよ」 「どうしてゴーヤなの?」 「沖縄から上陸するから、そこの食材を縁起を担いで食べるといいらしいの」 「じゃがいもは何に使うのかしら?」 「台風の日は、なぜかコロッケがよく売れるのよね。だからコロッケも作っちゃいましょう」 「うん。なら、それは私に任せて!」 「あたしはゴーヤチャンプルを作るよ」 「あらあら、じゃあわたしはお吸い物でも作ろうかしら」 普段通りの楽しい夕ご飯。こんな時でも、家族が揃っていれば不思議と安心できる。 話題は主に台風のお話だったけど、三人とも、不安を煽らないように冗談を交えて聞かせてくれた。 「僕が子どもの頃は、台風が来ると、なんだかワクワクして楽しかったな」 「お父さんは、学校が休みになるのが嬉しかったんでしょ?」 「ははは、それもあるなあ」 「えぇ~信じられない。学校に行けないと寂しいじゃない!」 「そんなことよりも、街が壊れちゃわないか心配だわ」 「わたしの父、おじいちゃんはね、台風の日でも仕事してたわ」 「畳職人だったのよね?」 「ええ。『この家も職人の手によるものだ、滅多なことじゃビクともしねえ』ってね」 小さな台風なら、せつなも昨年に経験している。しかし、それは直撃もしておらず、大きな被害もなかった。 今回は規模が違う。書籍やテレビで、台風の本来の破壊力を知ってしまった。この街にも、同じことが起こるかもしれない。 青い顔をしているせつなを心配して、食事が終わっても四人は一緒に過ごした。 テレビを見ながら、みんなで体を寄せ合うようにして居間で過ごす。 ラブはせつなが小刻みに震えているのを見て、そっと、自分の掌をせつなの手の上に重ねた。 「せつな、怖いの?」 「うん。空が荒れるなんて、私には馴染みのないことだから……」 「そっか、ラビリンスじゃ天候すら管理されてたんだよね」 「信じがたい話だなあ……」 「安心だけど、それも寂しい気もするわね」 「私も、天気は決まってない方が好きよ。でも、自然は優しいだけじゃないのね」 「心配いらないよ! あたしがついてるじゃない!」 「わたしも頼ってもらわなくちゃ」 「僕が補強したんだから、絶対に大丈夫だ」 「うん、ありがとう」 せつなは努めて笑顔を作る。でも、不安は晴れなかった。 せつなが心配しているのは、自分のことではなくて、この家のことだけでもなくて―――― 大好きなこの街が、壊れてしまうことだったのだから。 天と地を貫く眩い閃光。 月の光もなく、星が輝くこともない、 暗く、深い、漆黒の闇を、一瞬にして白く照らし出す雷光。 大量の雨粒が地表に叩きつけられる騒音の中にあって、一層の存在感を持って轟き渡る雷鳴。 この世界では古来より「神鳴り」と恐れられた、大自然の脅威の一つ。 「なのはわかるんだけど……ちょっと脅えすぎよ? ラブ」 「いや、だって怖いよ? って、キャアァァ――――!!」 「はぁ~、それじゃ自分のベッドには戻れそうにないわね。しょうがないから一緒に寝ましょう」 「えへへ、やったね!」 雷の被害にあって命を失う確率は、一億分の一とも言われている。 ある意味、もっとも被害の少ない自然災害なのだが、ラブの言うには危険だから怖いわけではないらしい。 「キャアァァ――――!!」 「はいはい、大丈夫よ」 先ほどとは、まるで正反対。せつなは、脅えてしがみ付くラブの背中をさすりながらクスリと笑った。 この様子では、朝まで寝かせてもらえないかもしれないと。 不思議なことに、そんな頼りないラブの体温を感じていると、さっきまで恐れていた台風の不安も薄らいでいくのだった。 雷が止んだのは、深夜遅くになってからだった。そこで、やっとラブが眠りに付く。 しかし、その後も暴風雨は容赦なく襲いかかる。 窓を叩く雨の音によってせつなが目を覚ましたのは、本来なら学校に遅刻してしまうような時間だった。 「ラブ、起きて。もうこんな時間よ」 「うう~ん? まだ暗いよ?」 「暗いのは厚い雲が空を覆っているからよ。風も昨日にも増して強いわ」 「どれどれ……。キャッ!」 外の様子を確認しようとしたラブが、慌てて窓を閉める。 突風と、それによって運ばれた雨が、ラブのパジャマを容赦なく濡らした。 「これは、確認するまでもないね。今日も学校は休みだよ」 「それはわかるけど、商店街や学校は大丈夫かしら?」 朝だというのに外に光はなく、まるで夜のように暗い。 真っ黒な厚い雲が、空を一面に覆う。微かに東の空が赤いのが、朝日の残滓なのだろう。 空は変化がないように見えて、よく目を凝らせば、雨雲がかなりの速度で移動しているのがわかる。 秋の高い空とは対照的に、厚い雨雲は地上に降りようとしているかのように、威圧感を伴って低く低く漂う。 「なんだか、雲が落ちてきそうで怖いわね」 「バケツをひっくり返したような大雨も、この雲から生まれてるんだよね。だから重たいのかな?」 「クスッ、確かにこれだけの雨を降らせる雲が、空に浮かんでいるのは不思議ね」 「こんなに強い風が吹いてるんだもん、雲なんてビュンって飛ばされちゃいそうなのにね」 せつなにとって、この世界の出来事は常に驚きと発見に満ちている。 ラブもそんなせつなと共に過ごすことで、多感な感性が更に敏感になっていた。 これまでなら、静かに通り過ぎるのを待つだけの台風にも、こうしてあれこれと想いを巡らせる。 雲は、大気中にかたまって浮かぶ水滴や氷の粒で構成されているらしい。 高度も大きさもバラバラだが、質量など無いに等しいだろう。本質的には霧と全く同じものなのだとか。 そんなものが台風の風圧にも散り散りにされず、地上に洪水をもたらすほどの大雨を降らせ、木々をなぎ倒す落雷をも発生させる。 なんて神秘的な存在なのだろうと思う。あらためて、祖国ラビリンスが失ったものの大きさを知る。 「ラブ~、せっちゃん~、朝ご飯ができたわよ」 『は~い!!』 食卓には圭太郎が先に座っていて、珍しく新聞を広げていた。行儀が悪いとあゆみに注意される。 頭をかきながら、ラブとせつなに気が付いて挨拶をした。二人も笑って返事をする。きっと、台風の被害が気になるのだろう。 暴風警報で、当然のように学校は自宅待機。一部の地域では避難勧告も出ているらしい。圭太郎とあゆみの仕事も休みになった。 テレビのニュースでは、屋根の一部がはがされたり、自宅の一部が水没したりと、痛々しい報道が続く。 その都度、せつなの表情は曇っていく。何もできないとしても、ここでじっとはしていられない。そんな気がしてくる。 「おかあさん。私、食事が済んだら外の様子を見てくる」 「ダメです!」 「危ないことはしないわ! テレビじゃこの辺りは映らないもの。ちょっと見に行くだけだから」 「ダメと言ったら、ダメよ。外に出ると危ないからお休みなのよ」 「でもっ!」 「せつな。あたしたちは、あたしたちにできることをしようよ」 「私たちにできることって?」 「えっと、トランプ遊びとか、録画しておいた映画を観るとか」 「……………………」 「あはは。ダメ……かな?」 「せっちゃん、自然に対して人が出来ることはないの。それよりもラブの勉強を見てあげて」 「わかったわ、おかあさん。ラブ、今日の私は特別に厳しいわよ?」 「お手柔らかにお願いシマス……」 昼過ぎになって、更に台風は勢いを強めた。まるで地震でも起きたかのように家が揺れ、ミシミシと軋みを上げる。 圭太郎とあゆみはそれでも落ち着いていて、「大丈夫よ」と微笑んだ。 結局、勉強の後は本当にトランプで遊んだり、映画を観たりして過ごした。ただし、あゆみと圭太郎も一緒に。 家族四人でお出かけすることはあっても、こうして一日中家で一緒に過ごすのは初めてだった。 せつなは不謹慎だと思いつつも、子どもの頃は台風が楽しみだったと言った、圭太郎の気持ちが少しだけわかるような気がした。 台風のような非日常でしか、得られない時間がある。そして、発見があるのだと。 暴風雨は、強くなったり、弱くなったりを繰り返しながら、深夜まで続いた。 流石に慣れてきたのと、やっぱり緊張が続いて疲れていたのだろう。その日はみんな早く布団に入って、ぐっすりと眠った。 「なに……これ?」 昨日とはまるで別世界。どこまでも青く澄み渡る空は、かつて見たこともないくらいに美しかった。 これが――――台風一過。台風が過ぎ去った後、清清しい天候になること。 でも、せつなには、そんな空を楽しむ心の余裕なんてなかった。 「ひどい……。ずいぶんやられちゃったね」 「こんなのって……」 「せつな?」 「こんなのって、こんなのってないわっ!」 支柱を立てたにも関わらず、大きく二つに折れた庭の木。 建物の一部が損壊し、あちこちで看板や旗が引き千切られた商店街。 なぎ倒されて、へしゃげた駅前の自転車の山。ブロック塀ごと倒れてしまった学校のフェンス。 休日で生徒の居ない校庭では、数人の教師がゴミの回収作業に追われる。 四つ葉公園の美しい紅葉は、見る影も無いほどに葉が散って、剥き出しのハダカの枝が痛々しく連なる。 真っ赤な絨毯と感じていた落ち葉は、風で飛ばされて四方八方に散乱する。もはや、秋の風情の欠片も感じられない。 「自然は、美しくて、優しくて、心を豊かにしてくれるものじゃなかったの?」 肌を撫でる爽やかな秋風ですら、今のせつなには暴風の名残のように思えて憎らしかった。 街中を駆け回って、クタクタになった先にたどり着いたのは、先日、写生会でモチーフにした四つ葉公園の湖の畔だった。 無残に散った葉っぱは、風に散らされて水面を覆う。 ロープで繋がれていたであろう数隻のスワンボートは、湖の中央で転覆していた。 「帰らなきゃ。きっと、みんな心配してる……」 フラフラと、せつなは歩き始める。 一つ一つの被害なら、かつてのラビリンスの襲撃の比ではないだろう。 でも、ここまで広範囲に、一度に何もかも滅茶苦茶にするなんて。そんな暴力がこの世界にあるだなんて、認めたくなかった。 どの道を通って帰ってきたのか、自分でもわからない。ふと気が付けば、せつなは商店街に戻ってきていた。 なるべく、足元しか見ないように歩いてきたからだ。 目の前には駄菓子屋さんがある。お婆さんが低いキャタツに乗って、壊れた日除けを外そうとしていた。 「おばあさん。それ、私にやらせてください」 「おや、せつなちゃんかい。助かるよ」 その後も、一通りの掃除や後片付けを手伝った。 全てを終えて帰ろうとするせつなを、お婆さんが引き止める。 「お待ち、疲れたろう? そんな時は甘いお菓子が一番さね」 「でも……」 「いいから、お上がり。そんな顔をしてる娘を放っておけるもんかい」 話したいことがあるからと、強引に店の中に押し込まれる。 ちゃぶ台の前で正座するせつなに、温かい緑茶とお店のお菓子が振舞われた。 「泣きそうな顔をしてたよ。何かあったのかい?」 「何かって……。何もなかった場所なんて、どこにもなかったわ」 「そうだね。困ってるなら、することは決まってる。悩むことなんてない。そうは思わないかい?」 「ラビリンスなら……。ラビリンスの科学力なら、台風だって押さえ込める。天災なんて失くすことができる」 「そういや、お前さんはプリキュアの一人だったね。でも、あたしはそんなの御免だね」 「どうしてですか? こんなに酷い目にあったのに」 「人間ってのは傲慢な生き物でね。どんなに幸せに恵まれたって、すぐに慣れちまって感謝の気持ちを失ってしまう。 だから、時々こうやってガツンと神様に叱ってもらう必要があるんだよ」 「この街の人たちは、叱られるようなことなんてしてないわ!」 「まあ高いところにいる神様にゃ、良い人悪い人なんて区別は付かないのかもしれないね」 「だったら、そんな神様なんていらないわっ!」 「要るんだよ。自然を畏れて、その恵みに感謝する心。それを失わないためにはね」 珍しく饒舌なお婆さんの言葉に、せつなは黙って耳を傾ける。 人間は自然の一部であり、自然を排除するのではなくて、共存してその力を借りることで発展してきた。 信仰や宗教、祭りや儀礼、詩歌や踊り、絵画や彫刻、住まいやエネルギー。せつなが愛する、この街の全てもまた、自然から生まれたのだと。 自然の力に「八百万の神々」を感じ、畏れ敬い、感謝と謙虚の心を持って、自然と共に生きていく。 その心を失った時、人もまた、人間らしさを失うのだと。 「夜があるから夜明けもあるんだよ。壊れやすいものだからこそ、大切にしたいと願うのさ」 「でも、取り返しの付かないものを失う人もいるはずよ」 「取り返しの付くものなんて、そうそうありはしないよ。だからこそ、人は支え合うんじゃないのかい?」 「だけど……だけど……。こんなの、悲しいものっ!」 お婆さんは一度話を切って、お茶の代わりを淹れる。せつなが落ち着くのを待って、再びゆっくりと話し出す。 「あたしだって、被害を歓迎してるわけじゃない。悲しい時は泣くといい。でも、それが済んだらもう一度街を見てごらん」 「もう、十分に見たわ……」 「いいから、ごらん」 せつなは再び外に出る。そこには、朝とは比べ物にならないくらいの人々が集まっていた。 それぞれ壊れた家を直したり、掃除や片付けをしたり。 それは、たった今、せつなもやっていたこと。ただ、一つ違うのは―――― みんな、笑顔で取組んでいることだった。 「よっ、婆さん。壊れた日除けの代わりを持ってきてやったぞ」 「ありがとうよ。お礼に好きなお菓子を持って行っておくれ」 「馬鹿言わないでくれよ、とても釣り合うもんじゃねえよ。でもまあ、今日は大サービスだ」 被害の少なかった者は、大きかった者を助ける。助ける方も、助けられる方も、瞳に強い意思の力が宿っていた。 「どうして? こんなに滅茶苦茶になったのに」 「到底、立て直せないとでも思ったかい? まあ、一人じゃ無理だろうけどね」 「悲しいって気持ちを、悔しいって気持ちに変えて頑張るのさ。いつか、嬉しいって気持ちに変わるまでね」 「一人じゃないから? そうね、一人で直すわけじゃないのよね」 「おじさま、私にも何かやらせてください!」 せつなは、日除けの取り付けの手伝いを申し出る。それが終わったら、他のお店の手伝いに回るつもりだった。 明るい表情で作業に取り掛かるせつなを、お婆さんは眩しそうに見つめてつぶやく。 「納得なんてしなくていいのさ、まだ若いんだからね。でも、あたしはこの歳になって思うんだよ。 幸せなだけの世界なんて、不幸なだけの世界と、なんの違いもありはしないってね。 心配しなくたって、不幸は向うから必ずやってくる。だから、幸せに向って精一杯頑張るんだよ」 笑顔を振りまきながら修繕を手伝うせつなの元に、三人の少女が駆け寄る。 「見つけたっ! せつな、心配したんだよ!」 「ごめんなさい、ラブ。私、今日一日、ううん、落ち着くまで、みんなの手伝いをするって決めたの」 「そっか。じゃあ、あたしも一緒にやるよ!」 「しょうがないわね。今日は仕事の予定もないし、アタシも手伝うわ」 「わたしの家は大丈夫だったから、一緒にやらせて」 若い娘たちが懸命に働く姿を見て、周囲の大人たちもやる気を漲らせる。 負けてはいられないと思ったのだろうか? いつの間にか、四つ葉中学の生徒や、他校の学生たちまで参加していた。 せつなには、お婆さんの呟きがちゃんと聞こえていた。 その意味は半分も理解できなかったけど、一つだけ確信が持てたことがある。 きっとこの街は、前よりもっと、もっと美しい街として甦るって。 美しく澄み渡る青空は、そんなせつなたちを優しく見守っていた。 新-449へ
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第24話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。空が荒れる日――』 風が止んだ。 強い日もある。弱い日もある。 でも、まるで空気が動かない日なんて、いつ以来だか思い出すこともできない。 燦然と輝く太陽。しかし、時折、通り過ぎる暗雲が大地に影を落とす。 上空では、緩やかな風が流れているのだろう。 白い雲は高く、黒い雲は低く、高低差のある雲が別々の速さで移動する。 二色の雲の隙間から、光の筋が後光となって十字に走る。 畏敬すら感じる雄大な空の景観。初めて見る空の異変に、せつなは本能的な恐怖を感じていた。 「せつな、どうしたの? 急がないと遅刻しちゃうよ?」 「ええ、ごめんなさい。ねえ、ラブ。台風の前っていつもこうなの?」 「う~ん、よくわからないよ。あたしは雷が鳴らない限りは気にしないし」 「雷も怖いけど、もっと良くないことが起こりそうな気がするの……」 授業が始まっても、せつなは空模様の移り変わりが気になって、ずっと窓ばかり見ていた。 それは他の生徒も同じようで、先生も特に注意しようとしない。 不自然なくらい静かだった外の様子が変わっていく。 再び風が吹き始め、上空の青空を包むように、南から本格的に厚い雲が押し寄せる。 パラパラと小雨が振り出した時点で授業は中断され、昼を待たずして全校生徒は帰宅を命じられた。 「あ~あ、今日の給食楽しみだったのにな」 「もう、ラブったら。それどころじゃないでしょ?」 せつなが、普段とは表情の違う商店街を眺めながらたしなめる。 人々の笑顔と、幸せが集まる場所。それがクローバータウンストリートだった。 道を歩いているだけでお店の人から声をかけられたり、挨拶したり。買い物する人、散歩する人で賑わって。 そんな喧騒は鳴りを潜め、シャッターを閉じた店舗ばかりが並び、閑散とした雰囲気が漂う。 「開いてるのは、日用品と食料品のお店だけね」 「うん、おかあさんは遅くなるって言ってたね。水とかがよく売れるからって」 流石に、ラブも不安そうに街の様子を見渡す。 台風は、毎年、必ずと言っていいほどやって来る。でも、今回は超大型と呼ばれる規模の大きいものだった。 大事な街、大切なお店の数々。二人で空を見上げながら、大きな被害が出ないことを祈った。 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。空が荒れる日――』 桃園家の庭で庭木の支柱を立てていた圭太郎が、手を止めて帰宅したラブとせつなを迎える。 既にアンテナの補強を済ませ、ゴミ箱や鉢植え等も、全て家の中に移してあった。 「お帰り。ラブ、せっちゃん」 「ただいま、おとうさん」 「おとうさん、お仕事じゃなかったの?」 「お母さんから連絡があってな、早引きして帰ってきたんだ」 「そっか、予報よりも早く荒れそうだもんね」 「私も何か手伝うわ」 庭の手入れや大工仕事は圭太郎に任せて、ラブとせつなは溝と排水溝の掃除を受け持った。 準備の遅れている近所の家の手伝いもしていたら、あっという間に夕方になった。 既に空は分厚い雲に覆われていて、太陽なんてどこにも見えない。 それなのに、空が赤い。 夕日とは異なる光景。一面に広がる雲が、絵の具でも落としたかのように真っ赤に染まっていた。 「明日が本番らしいが、今夜から荒れるかもしれないな。ラブとせっちゃんはもう家の中に入っておくんだ」 「おとうさんはどうするの?」 「僕は今からお母さんを迎えに行く。そろそろ終わる時間だろう」 「あたしも行こうか?」 「私も行くわ」 「ありがとう。でも、まだ風も雨も弱いから大丈夫だ」 圭太郎を見送ってから、ラブとせつなは万一に備えた避難用具をカバンに詰めていく。 懐中電灯・ローソク・マッチ・携帯ラジオ・予備の乾電池・救急薬品・衣料品・非常用食料・携帯ボンベ式コンロ。 全部入れたら、ちょうど大きなカバン四つになった。 「こうしてみると、なんだか旅行の準備みたいだね」 「そうね、役に立たないといいのだけど……」 空の色が赤から黒に変わってきた頃、あゆみと圭太郎が帰宅した。 外の雨はますます激しくなっていて、二人ともレインコートを羽織っていた。 「ただいま。ラブ、せっちゃん」 「遅くなってしまったよ」 『おかえりなさい!!』 家族が揃ったことで、ようやくせつなにも笑顔が戻る。 あゆみの買ってきた食材で、三人で夕飯を作ることにした。 「今日はゴーヤと、じゃがいもを買ってきたのよ」 「どうしてゴーヤなの?」 「沖縄から上陸するから、そこの食材を縁起を担いで食べるといいらしいの」 「じゃがいもは何に使うのかしら?」 「台風の日は、なぜかコロッケがよく売れるのよね。だからコロッケも作っちゃいましょう」 「うん。なら、それは私に任せて!」 「あたしはゴーヤチャンプルを作るよ」 「あらあら、じゃあわたしはお吸い物でも作ろうかしら」 普段通りの楽しい夕ご飯。こんな時でも、家族が揃っていれば不思議と安心できる。 話題は主に台風のお話だったけど、三人とも、不安を煽らないように冗談を交えて聞かせてくれた。 「僕が子どもの頃は、台風が来ると、なんだかワクワクして楽しかったな」 「お父さんは、学校が休みになるのが嬉しかったんでしょ?」 「ははは、それもあるなあ」 「えぇ~信じられない。学校に行けないと寂しいじゃない!」 「そんなことよりも、街が壊れちゃわないか心配だわ」 「わたしの父、おじいちゃんはね、台風の日でも仕事してたわ」 「畳職人だったのよね?」 「ええ。『この家も職人の手によるものだ、滅多なことじゃビクともしねえ』ってね」 小さな台風なら、せつなも昨年に経験している。しかし、それは直撃もしておらず、大きな被害もなかった。 今回は規模が違う。書籍やテレビで、台風の本来の破壊力を知ってしまった。この街にも、同じことが起こるかもしれない。 青い顔をしているせつなを心配して、食事が終わっても四人は一緒に過ごした。 テレビを見ながら、みんなで体を寄せ合うようにして居間で過ごす。 ラブはせつなが小刻みに震えているのを見て、そっと、自分の掌をせつなの手の上に重ねた。 「せつな、怖いの?」 「うん。空が荒れるなんて、私には馴染みのないことだから……」 「そっか、ラビリンスじゃ天候すら管理されてたんだよね」 「信じがたい話だなあ……」 「安心だけど、それも寂しい気もするわね」 「私も、天気は決まってない方が好きよ。でも、自然は優しいだけじゃないのね」 「心配いらないよ! あたしがついてるじゃない!」 「わたしも頼ってもらわなくちゃ」 「僕が補強したんだから、絶対に大丈夫だ」 「うん、ありがとう」 せつなは努めて笑顔を作る。でも、不安は晴れなかった。 せつなが心配しているのは、自分のことではなくて、この家のことだけでもなくて―― 大好きなこの街が、壊れてしまうことだったのだから。 天と地を貫く眩い閃光。 月の光もなく、星が輝くこともない、 暗く、深い、漆黒の闇を、一瞬にして白く照らし出す雷光。 大量の雨粒が地表に叩きつけられる騒音の中にあって、一層の存在感を持って轟き渡る雷鳴。 この世界では古来より「神鳴り」と恐れられた、大自然の脅威の一つ。 「なのはわかるんだけど……ちょっと脅えすぎよ? ラブ」 「いや、だって怖いよ? って、キャアァァ――!!」 「はぁ~、それじゃ自分のベッドには戻れそうにないわね。しょうがないから一緒に寝ましょう」 「えへへ、やったね!」 雷の被害にあって命を失う確率は、一億分の一とも言われている。 ある意味、もっとも被害の少ない自然災害なのだが、ラブの言うには危険だから怖いわけではないらしい。 「キャアァァ――!!」 「はいはい、大丈夫よ」 先ほどとは、まるで正反対。せつなは、脅えてしがみ付くラブの背中をさすりながらクスリと笑った。 この様子では、朝まで寝かせてもらえないかもしれないと。 不思議なことに、そんな頼りないラブの体温を感じていると、さっきまで恐れていた台風の不安も薄らいでいくのだった。 雷が止んだのは、深夜遅くになってからだった。そこで、やっとラブが眠りに付く。 しかし、その後も暴風雨は容赦なく襲いかかる。 窓を叩く雨の音によってせつなが目を覚ましたのは、本来なら学校に遅刻してしまうような時間だった。 「ラブ、起きて。もうこんな時間よ」 「うう~ん? まだ暗いよ?」 「暗いのは厚い雲が空を覆っているからよ。風も昨日にも増して強いわ」 「どれどれ……。キャッ!」 外の様子を確認しようとしたラブが、慌てて窓を閉める。 突風と、それによって運ばれた雨が、ラブのパジャマを容赦なく濡らした。 「これは、確認するまでもないね。今日も学校は休みだよ」 「それはわかるけど、商店街や学校は大丈夫かしら?」 朝だというのに外に光はなく、まるで夜のように暗い。 真っ黒な厚い雲が、空を一面に覆う。微かに東の空が赤いのが、朝日の残滓なのだろう。 空は変化がないように見えて、よく目を凝らせば、雨雲がかなりの速度で移動しているのがわかる。 秋の高い空とは対照的に、厚い雨雲は地上に降りようとしているかのように、威圧感を伴って低く低く漂う。 「なんだか、雲が落ちてきそうで怖いわね」 「バケツをひっくり返したような大雨も、この雲から生まれてるんだよね。だから重たいのかな?」 「クスッ、確かにこれだけの雨を降らせる雲が、空に浮かんでいるのは不思議ね」 「こんなに強い風が吹いてるんだもん、雲なんてビュンって飛ばされちゃいそうなのにね」 せつなにとって、この世界の出来事は常に驚きと発見に満ちている。 ラブもそんなせつなと共に過ごすことで、多感な感性が更に敏感になっていた。 これまでなら、静かに通り過ぎるのを待つだけの台風にも、こうしてあれこれと想いを巡らせる。 雲は、大気中にかたまって浮かぶ水滴や氷の粒で構成されているらしい。 高度も大きさもバラバラだが、質量など無いに等しいだろう。本質的には霧と全く同じものなのだとか。 そんなものが台風の風圧にも散り散りにされず、地上に洪水をもたらすほどの大雨を降らせ、木々をなぎ倒す落雷をも発生させる。 なんて神秘的な存在なのだろうと思う。あらためて、祖国ラビリンスが失ったものの大きさを知る。 「ラブ~、せっちゃん~、朝ご飯ができたわよ」 『は~い!!』 食卓には圭太郎が先に座っていて、珍しく新聞を広げていた。行儀が悪いとあゆみに注意される。 頭をかきながら、ラブとせつなに気が付いて挨拶をした。二人も笑って返事をする。きっと、台風の被害が気になるのだろう。 暴風警報で、当然のように学校は自宅待機。一部の地域では避難勧告も出ているらしい。圭太郎とあゆみの仕事も休みになった。 テレビのニュースでは、屋根の一部がはがされたり、自宅の一部が水没したりと、痛々しい報道が続く。 その都度、せつなの表情は曇っていく。何もできないとしても、ここでじっとはしていられない。そんな気がしてくる。 「おかあさん。私、食事が済んだら外の様子を見てくる」 「ダメです!」 「危ないことはしないわ! テレビじゃこの辺りは映らないもの。ちょっと見に行くだけだから」 「ダメと言ったら、ダメよ。外に出ると危ないからお休みなのよ」 「でもっ!」 「せつな。あたしたちは、あたしたちにできることをしようよ」 「私たちにできることって?」 「えっと、トランプ遊びとか、録画しておいた映画を観るとか」 「…………」 「あはは。ダメ……かな?」 「せっちゃん、自然に対して人が出来ることはないの。それよりもラブの勉強を見てあげて」 「わかったわ、おかあさん。ラブ、今日の私は特別に厳しいわよ?」 「お手柔らかにお願いします……」 昼過ぎになって、更に台風は勢いを強めた。まるで地震でも起きたかのように家が揺れ、ミシミシと軋みを上げる。 圭太郎とあゆみはそれでも落ち着いていて、「大丈夫よ」と微笑んだ。 結局、勉強の後は本当にトランプで遊んだり、映画を観たりして過ごした。ただし、あゆみと圭太郎も一緒に。 家族四人でお出かけすることはあっても、こうして一日中家で一緒に過ごすのは初めてだった。 せつなは不謹慎だと思いつつも、子どもの頃は台風が楽しみだったと言った、圭太郎の気持ちが少しだけわかるような気がした。 台風のような非日常でしか、得られない時間がある。そして、発見があるのだと。 暴風雨は、強くなったり、弱くなったりを繰り返しながら、深夜まで続いた。 流石に慣れてきたのと、やっぱり緊張が続いて疲れていたのだろう。その日はみんな早く布団に入って、ぐっすりと眠った。 「なに……これ?」 昨日とはまるで別世界。どこまでも青く澄み渡る空は、かつて見たこともないくらいに美しかった。 これが――台風一過。台風が過ぎ去った後、清清しい天候になること。 でも、せつなには、そんな空を楽しむ心の余裕なんてなかった。 「ひどい……。ずいぶんやられちゃったね」 「こんなのって……」 「せつな?」 「こんなのって、こんなのってないわっ!」 支柱を立てたにも関わらず、大きく二つに折れた庭の木。 建物の一部が損壊し、あちこちで看板や旗が引き千切られた商店街。 なぎ倒されて、へしゃげた駅前の自転車の山。ブロック塀ごと倒れてしまった学校のフェンス。 休日で生徒の居ない校庭では、数人の教師がゴミの回収作業に追われる。 四つ葉公園の美しい紅葉は、見る影も無いほどに葉が散って、剥き出しのハダカの枝が痛々しく連なる。 真っ赤な絨毯と感じていた落ち葉は、風で飛ばされて四方八方に散乱する。もはや、秋の風情の欠片も感じられない。 「自然は、美しくて、優しくて、心を豊かにしてくれるものじゃなかったの?」 肌を撫でる爽やかな秋風ですら、今のせつなには暴風の名残のように思えて憎らしかった。 街中を駆け回って、クタクタになった先にたどり着いたのは、先日、写生会でモチーフにした四つ葉公園の湖の畔だった。 無残に散った葉っぱは、風に散らされて水面を覆う。 ロープで繋がれていたであろう数隻のスワンボートは、湖の中央で転覆していた。 「帰らなきゃ。きっと、みんな心配してる……」 フラフラと、せつなは歩き始める。 一つ一つの被害なら、かつてのラビリンスの襲撃ほどではないだろう。 でも、ここまで広範囲に、一度に何もかも滅茶苦茶にするなんて。そんな暴力がこの世界にあるだなんて、認めたくなかった。 どの道を通って帰ってきたのか、自分でもわからない。ふと気が付けば、せつなは商店街に戻ってきていた。 なるべく、足元しか見ないように歩いてきたからだ。 目の前には駄菓子屋さんがある。お婆さんが低いキャタツに乗って、壊れた日除けを外そうとしていた。 「おばあさん。それ、私にやらせてください」 「おや、せつなちゃんかい。助かるよ」 その後も、一通りの掃除や後片付けを手伝った。 全てを終えて帰ろうとするせつなを、お婆さんが引き止める。 「お待ち、疲れたろう? そんな時は甘いお菓子が一番さね」 「でも……」 「いいから、お上がり。そんな顔をしてる娘を放っておけるもんかい」 話したいことがあるからと、強引に店の中に押し込まれる。 ちゃぶ台の前で正座するせつなに、熱い緑茶とお店のお菓子が振舞われた。 「泣きそうな顔をしてたよ。何かあったのかい?」 「何かって……。何もなかった場所なんて、どこにもなかったわ」 「そうだね。起きちまったことは、クヨクヨしたって始まらない。そうは思わないかい?」 「ラビリンスなら……。ラビリンスの科学力なら、台風だって押さえ込める。天災なんて失くすことができる」 「そういや、お前さんはプリキュアの一人だったね。でも、あたしはそんなの御免だね」 「どうしてですか? こんなに酷い目にあったのに」 「人間ってのは傲慢な生き物でね。どんなに幸せに恵まれたって、すぐに慣れちまって感謝の気持ちを失ってしまう。 だから、時々こうやってガツンと神様に叱ってもらう必要があるんだよ」 「この街の人たちは、叱られるようなことなんてしてないわ!」 「まあ高いところにいる神様にゃ、良い人悪い人なんて区別は付かないのかもしれないね」 「だったら、そんな神様なんていらないわっ!」 「要るんだよ。自然を畏れて、その恵みに感謝する心。それを失わないためにはね」 珍しく饒舌なお婆さんの言葉に、せつなは黙って耳を傾ける。 人間は自然の一部であり、自然を排除するのではなくて、共存してその力を借りることで発展してきた。 信仰や宗教、祭りや儀礼、詩歌や踊り、絵画や彫刻、住まいやエネルギー。せつなが愛する、この街の全てもまた、自然から生まれたのだと。 自然の力に「八百万の神々」を感じ、畏れ敬い、感謝と謙虚の心を持って、自然と共に生きていく。 その心を失った時、人もまた、人間らしさを失うのだと。 「夜があるから夜明けもあるんだよ。壊れやすいものだからこそ、大切にしたいと願うのさ」 「でも、取り返しの付かないものを失う人もいるはずよ」 「取り返しの付くものなんて、そうそうありはしないよ。だからこそ、人は支え合うんじゃないのかい?」 「だけど……だけど……。こんなの、悲しいものっ!」 お婆さんは一度話を切って、お茶の代わりを淹れる。せつなが落ち着くのを待って、再びゆっくりと話し出す。 「あたしだって、天災を歓迎してるわけじゃない。悲しい時は泣くといい。でも、それが済んだらもう一度街を見てごらん」 「もう、十分に見たわ……」 「いいから、ごらん」 せつなは再び外に出る。そこには、朝とは比べ物にならないくらいの人々が集まっていた。 それぞれ壊れた家を直したり、掃除や片付けをしたり。 それは、たった今、せつなもやっていたこと。ただ、一つ違うのは―― みんな、笑顔で取組んでいることだった。 「よっ、婆さん。壊れた日除けの代わりを持ってきてやったぞ」 「ありがとうよ。お礼に好きなお菓子を持って行っておくれ」 「馬鹿言わないでくれよ、とても釣り合うもんじゃねえよ。でもまあ、今日は大サービスだ」 被害の小さかった者は、大きかった者を助ける。助ける方も、助けられる方も、瞳に強い意思の力が宿っていた。 「どうして? こんなに滅茶苦茶になったのに」 「到底、立て直せないとでも思ったかい? まあ、一人じゃ無理だろうけどね」 「悲しいって気持ちを、悔しいって気持ちに変えて頑張るのさ。いつか、楽しいって気持ちに変わるまでね」 「一人じゃないから? そうね、一人で直すわけじゃないのよね」 「おじさま、私にも何かやらせてください!」 せつなは、日除けの取り付けの手伝いを申し出る。それが終わったら、他のお店の手伝いに回るつもりだった。 明るい表情で作業に取り掛かるせつなを、お婆さんは眩しそうに見つめてつぶやく。 「納得なんてしなくていいのさ、まだ若いんだからね。でも、あたしはこの歳になって思うんだよ。 幸せなだけの世界なんて、不幸なだけの世界と、なんの違いもありはしないってね。 望まなくたって、不幸は必ずやってくる。だから、幸せに向って精一杯頑張るんだよ」 笑顔を振りまきながら修繕を手伝うせつなの元に、三人の少女が駆け寄る。 「見つけたっ! せつな、心配したんだよ!」 「ごめんなさい、ラブ。私、今日一日、ううん、落ち着くまで、みんなの手伝いをするって決めたの」 「そっか。じゃあ、あたしも一緒にやるよ!」 「しょうがないわね。今日は仕事の予定もないし、アタシも手伝うわ」 「わたしの家は大丈夫だったから、一緒にやらせて」 若い娘たちが懸命に働く姿を見て、周囲の大人たちもやる気を漲らせる。 負けてはいられないと思ったのだろうか? いつの間にか、四つ葉中学の生徒や、他校の学生たちまで参加していた。 せつなには、お婆さんの呟きがちゃんと聞こえていた。 その意味は半分も理解できなかったけど、一つだけ確信が持てたことがある。 きっとこの街は、前よりもっと、もっと素敵な街として甦るって。 美しく澄み渡る青空は、そんなせつなたちを優しく見守っていた。
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「ん・・・」 うっすらと目を開けると、窓の外には既に夜の帳が降りていた。 事後の何とも言えぬ気だるい空気に包まれながら、せつなはゆっくりと身を起こす。 身支度を整えながら、せつなはこの数日を振り返る。 いつでも優しく迎え入れてくれる父母と過ごした暖かいひと時。 固い絆で結ばれた親友達と過ごした楽しいひと時。 ―――そして、最愛の人と過ごした甘いひと時。 また新たに増えたそれらの思い出を胸に、せつなは再び旅立つ―――復興の地へ。 「ん・・・せつな・・・」 未だ夢の中にいるであろうラブを見やり、せつなは小さく呟く―――ごめんなさいと。 そして、先程まで自らが横になっていた空間に手をつき、ラブにそっと口付ける。 ―――また戻って来るという誓いを込めて。 眩いばかりの赤い光が瞬き、すぐに消え去る。 静寂に包まれるラブの部屋。 ラブの目尻から一粒の滴がすっ、と流れて落ちた。
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ラブ「ごちそうさまでした!」 祈里「とっても美味しかったね」 美希「あとはデザートね」 せつな「デザートって何があるの?」 ラブ「えーと、桃とパイナップルとブルーベリーだよ」 せつな「うーん、どれにしようかしら?」 ラブ「もちろんぷりっぷりの桃で幸せゲットだよね!?」 祈里「あまーいパインで癒されるって私信じてる!」 美希「ノンノン。甘酸っぱいブルーベリーでリフレッシュよ。うん完璧!」 三人「ねえ、どれにするの!?」 せつな「私選べないわ…。どれかなんて選べない。だから全部精一杯頑張るわ!」 ラブ「わはー。せつなってば頑張り屋さん!」 美希「クス、意外と食いしん坊ね」 祈里「私達も頑張らなきゃね」 せつな「さあみんな、行きましょう!」 行った先がベッドだなんて妄想は禁止
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四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~ Episode8:8月31日の絵日記 「ねえ、せつなぁ!開けてよ~。」 桃園家の二階にある、せつなの部屋の前。固く閉じられたドアを叩いて、ラブは廊下から部屋の中に向かって呼びかける。 ラブの後ろには、きょとんと首を傾げるシフォンと、呆れ顔のタルト。そして部屋の中からは、うんともすんとも、返事は聞こえてこない。 「ねぇ。これからは、どうせ毎日見ることになるんだからさぁ。今見せてくれたっていいじゃん!せつなのケチ。」 「ピーチはん。せやったら、別にどうでも今見んでもええんと違いまっか?」 ため息混じりにそう言うタルトを、ラブは口を尖らせたままで振り返る。 「だって~、早く見てみたいじゃん、せつなの制服姿。きっとかわいいよ!」 新学期まで、あと二日。この前採寸したせつなの制服を、今朝、あゆみが取りに行って来た。だが、ラブが溜まりに溜まった宿題の山と格闘している間に、せつなはあゆみに見てもらってさっさと試着を済ませると、自分の部屋に着替えに入ってしまったのだ。 「せいふく。かわいい?」 シフォンがラブの言葉を真似て、プリ?と首を傾げる。 「そうだよ、シフォン。あさってから、せつなもあたしと一緒に学校なんだ~。ああ、もう考えただけで、楽しみすぎるよぉ~!」 「その前に、夏休みの課題を終わらせなきゃいけないんじゃなかったの?ラブ。」 うっ、と詰まったラブの目の前で、部屋のドアがガチャリと開く。涼しい顔で部屋から出てきたせつなは、最近のお気に入りの、赤いワンピースに白いボレロという出で立ちだ。 「うう・・・頑張りマス。」 すごすごと自分の部屋へと戻って行くラブの後ろ姿に、クスッと笑いをこぼしてから、せつなはトントンと軽快に、階段を駆け下りた。 四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~ Episode8:8月31日の絵日記 しーんと静まりかえったフロア。整然と灰色の行列を作っている、おびただしい数のスチール棚。一見すると、かつての故郷の無機質な空間を思わせるのに、この場所は穏やかで落ち着いた、独特の雰囲気を持っている。それは、色も形もバラバラで、棚をひとつひとつ違った模様に彩っている本たちの個性と、それをみんなのものとして大切に扱う、人々の気持ちが感じられるからかもしれない。 ここの主役である本たちは、ただのデータの集積ではない。著者や編者は勿論、デザインや装丁、出版社に販売店など、携わったたくさんの人々の想いが、様々な形で宿っている。さらによく目を凝らせば、本一冊一冊に丁寧に付けられた分類ラベルや、掲示板に貼られた、「夏休みのおすすめ図書」の手書きポスター・・・本当に、一冊の本に実に多くの人の想いが込められていることを、せつなはここに来るたびに、実感するのだ。 ――二学期から、せっちゃんもラブと同じ、四つ葉中学校の二年生よ。 あゆみにそう言われた日から、せつなは足繁くこの図書館に通っていた。学校がどういうところなのかという話は、ラブや美希や祈里から色々教わってはいるものの、やはり自分で調べておきたいことは、たくさんあったからだ。 棚から五、六冊の本を抜き出し、閲覧室に向かう。ここにはいつも、老若男女、実に様々な人々が集まっている。こんなにたくさん人がいるのに、こんなに静寂が保たれている場所を、せつなはこの世界では、まだここしか知らない。 パーティションで小さく区切られた一人用の席は、今日も満席だったので、せつなは部屋の中央に並べられた、大机のひとつを目指した。机をぐるりと囲んでいる二十個ほどの椅子のひとつに腰かけて、持って来た本を開く。そして時折メモを取りながら、速読と言えるような速さで本のページをめくっていく。 (学習内容は、大体わかった。あとは・・・行事?そう言えば、ラブが文化祭や体育祭っていうものがあるって言ってたわ。この世界では教育の場でも、いろんなイベントがあるのね。) 学校生活の中で、この世界の子供が中学二年生になるまでに辿る道筋――小学校の六年間と中学校の前半で、彼らが学校という場で学ぶこと、経験することは何なのか。それをなるべく知っておきたいと、せつなは思っていた。 潜入先の人間になり澄ますために情報をくまなく仕入れる、ラビリンスの尖兵としての習性だろうか、とも思う。でも、その場をやり過ごすためでなく、学校生活を円滑に過ごすため――何より、自分を学校に行かせてくれる家族に迷惑をかけないために、出来る限りの準備をしておきたい。 (まあ、集合教育なんて初めての経験だもの。いくら調べたところで、役に立つかはわからないけど。) 学校行事をまとめたノートを見ながら、心の中でそう呟いたとき、ふと前方から視線を感じた。 何気なく上げたその顔が、パッとほころぶ。大机の向こう側から、笑顔で小さく手を振っていたのは、彼女の大切な親友のひとり――祈里だった。 ☆ 二人で連れ立って、図書館を出る。むき出しの腕に痛いくらいの午後の日射しと、競い合うように響くセミの声。まだまだ終わりなんかじゃないぞ、と夏が主張しているかのようだ。 「せつなちゃん、最近よくここで会うよね。何か調べ物?」 眩しそうに目を細めながら、祈里がいつもののんびりした調子で尋ねる。 「ええ。学校のこと、少し調べておきたくて。」 せつなはそう言って、乾いた地面にくっきりと映る、自分の影を見つめた。 「ねえ、ブッキー。前に、教えてくれたわよね。本は実物そのものじゃないけど、世界の入り口になってくれるって。」 「ええ。覚えていてくれたのね。」 せつなの言葉に、祈里は嬉しそうな、それでいて生真面目な顔で、大きく頷いてみせる。 「みんなに色々教えてもらっているけど、私、学校ってどんなところなのか、なかなかイメージが掴めなくて・・・。」 「それで学校のことを調べてるのね。そのぉ、ラビリンスでは、勉強ってどうやって教わってたの?」 「ひとりひとり、自分のレベルに合わせて、コンピュータを使って勉強してたわ。」 口ごもりながら尋ねる祈里に、穏やかに答えを返して、せつなは少し照れ臭そうに話を続ける。 「明後日学校に行ったら、きっと驚くことがたくさんあるんだろうけど・・・でも、何だか楽しみで、少しドキドキしてるの。本物の学校は、どんな風にこの目に映るのかな、って。」 そして、そんなことが楽しみだなんて、自分で自分に驚いてるわ――この最後の言葉は口には出さずに、せつなは少し伏し目がちに微笑む。 せつなの言葉を、どこか心配そうな様子で聞いていた祈里が、ゆっくりと笑顔になった。 「うん、せつなちゃんなら大丈夫よ。きっと楽しめるって、わたし、信じてる。」 「ありがとう。ブッキーにそう言ってもらうと、ホントにそう思えるから、不思議ね。」 二人の少女は、お互いにそっと目と目を見交わして、静かに微笑み合った。 「ブッキーこそ、最近よく図書館にいるわよね。夏休みの宿題をやってるの?」 せつながふと気付いてそう問いかけると、祈里は、ううん、と首を横に振った。 「うちの病院に来た女の子に頼まれてね。朝顔のことを調べてるの。」 「朝顔?」 確か小学校の低学年で、朝顔を育てるという授業があったはずだ、とせつなは覚えたばかりの教育プログラムを、頭の中で思い返す。 「うん。去年、学校で育てた朝顔から取れた種を、家で蒔いたらしいんだけどね。何だか、花がうまく咲かないんですって。何がいけないんだろうって、相談されてね。うちには動物さんの本はいっぱいあるけど、植物の本はあんまり無いから。」 そう言いながら、祈里は肩にかけた大きな鞄の中から、ルーズリーフが挟まったバインダーを取り出す。そこにはせつなも見慣れた几帳面な字と、繊細なタッチで描かれた朝顔のイラストが並んでいた。 「原因になりそうなことをメモにして渡して、色々試してもらっているんだけど。」 「そうだったの。ちゃんと花が咲くといいわね。」 真っ直ぐに視線を合わせてそう言うせつなに、祈里はニコリと笑って、もう一度大きく頷いた。 ☆ 「じゃあ、明日のダンスレッスンでね。」 祈里と別れて商店街を歩き始めたせつなは、サンダルのかかとに何かがコツンと当たったのに気付いて、足を止めた。見ると、まだ新しい赤いクレヨンが、アスファルトの上にコロリと転がっている。 しゃがんでそれを拾い上げ、辺りを見回す。すると、街路樹の下に置かれたベンチに、大きめのノートとクレヨンの箱を持って、女の子が座っているのが目に入った。 クレヨンを持って、女の子にそっと近付く。最初は誰かと待ち合わせでもしているのかと思った。が、それにしては真剣な眼差しで、女の子は目の前の商店街の景色を、じっと見つめている。 やがて、せつなに気付いた女の子は、今までとは一転、きょとんとした顔で、せつなを見つめた。せつなは小さく笑みを浮かべると、手の中に握っていた赤いクレヨンを、彼女に差し出した。 「これ、落ちてたんだけど、あなたのじゃない?」 「えっ?」 女の子が驚いたような顔をして、クレヨンの箱を開ける。 「ほんとだ、無い・・・。ありがとう、おねえちゃん。」 クレヨンを受け取って、少し恥ずかしそうに微笑む彼女。せつなも微笑み返して、改めて目の前の少女を見つめた。 小学校には、もう上がっている年頃だろう。つばの広い麦わら帽子の下の、おかっぱに切られた黒髪。くりくりとよく動くこげ茶色の瞳。そこまではごく普通の女の子だが、Tシャツから覗いている腕も、その頬も、色白でほとんど日に焼けていない。 女の子は、赤いクレヨンを箱の中にしまうと、人懐っこい笑顔でせつなを見上げた。 「わたし、千香っていうの。おねえちゃんは、この辺りに住んでるの?」 「ええ、そうよ。私は、東せつな。千香ちゃんは、ここで絵を描いていたの?」 せつなの問いかけに、女の子――千香の顔が少しうつむく。 「ううん。描こうと思ったんだけど・・・。」 そのときせつなは千香の手の中にあるノートが、普通のノートやスケッチブックとは違うものであることに、やっと気付いた。 「それ、絵日記帳ね。夏休みの宿題?」 こくんと頷いて、千香が手に持ったそれを、せつなに差し出す。絵日記というのは、確か小学校低学年の、夏休みの宿題の定番メニューだったはずだ。見てもいい?と目顔で問いかけると、千香はページを開いて中を見せてくれた。 彼女の隣りに座って、絵日記帳を覗き込む。上半分に絵が、下半分の、何本もの縦線が印刷された箇所には文字が書かれている。図書館で見た、絵日記コンクールの入賞作品の写真と同じ書式だ。もっとも、写真で見た絵日記は旅先の風景が多かったが、千香の絵日記帳には、家族でスイカを食べている絵や、庭で花火をしている絵など、手近で味わえる夏の風物詩ばかりが描かれていた。 「千香ね、夏休みが始まる少し前まで、病気で入院してたの。それで夏休みもどこにも行けなかったから、絵日記の宿題、大変なんだ。」 「そう。」 最後に一枚だけ残った白紙のページを見ながら、せつなは頷く。絵日記の枚数は、全部で五枚。ここでは毎日が新しい発見や喜びに満ちているけれど、絵に描こうと思ったら、確かに難しいのかもしれない。 千香は、絵日記帳をパタンと閉じると、目の前の商店街を見ながら、明るい声で言った。 「ここはね、ちょっと前に、プリキュアがカメラの化け物をやっつけたところなんだよ。」 そう言われて、せつなは思わず、あ、と声を上げる。確かにここはひと月ほど前に、カメラのナケワメーケと戦った場所だった。あのときは、道路のあちこちに穴が開き、コンクリートは無残に削り取られた。その修復の跡はまだ生々しく、道路はグレーの濃淡のまだら模様になっている。 大切なものを守るために懸命に戦っても、ラビリンスの襲撃のたびに、この優しくあたたかな四つ葉町に、傷跡が増えていく。情けなさと申し訳なさに唇を噛みしめるせつなに、再びあどけない声がかけられた。 「プリキュアのおかげで、お店は全部、無事だったんだって。千香が大好きな駄菓子屋さんも、いっつも病院にお花を届けてくれたお花屋さんも、全部。」 千香はそう言ってせつなの顔を見上げると、やっぱり少し恥ずかしそうに、ニコリと笑った。 「千香ね。病院で大きな手術を受けたんだけど、そのとき、プリキュアが来てくれたんだ。」 「えっ?プリキュアが?」 せつなが驚きに目を見開く。手術を受ける千香を励ますために、変身して会いに行ったのだろうか。まぁ、ラブたちらしいと言えば、らしい話だけど・・・そう思ったせつなは、千香の言葉の続きを聞いて、今度は思わず苦笑した。 「うん。三人がプリクラで撮った写真を貼った、色紙ももらったんだよ。キュアピーチとキュアベリーとキュアパイン。そのときは、キュアパッションはまだ居なかったから。」 そうね、と思わず頷きかけて、慌てて笑顔でごまかす。いかにもラブが考えそうなことだと思ったら、おかしくなった。もしもプリキュアになった後だったら、自分もプリクラを撮っていたんだろうと思うと、ちょっとホッとしたような、残念なような気がする。 幸い千香は、そんなせつなの様子には気付かず、笑顔で話を続けた。 「ときどきね、雑誌のプリキュアの写真に映ってた場所に、来てみるの。プリキュアが頑張った場所、見てみたいから。」 「プリキュアが・・・頑張った場所?」 「うん!プリキュアが頑張ってるって思ったら、千香も頑張れる気がするんだもん。」 そう言って、千香はまた少しうつむき加減になる。声も少し小さくなったが、自分に言い聞かせるように、はっきりとこう言った。 「あさってから、学校に行くの。凄く久しぶりだから、少し怖いけど・・・プリキュアに負けないように、千香も頑張るんだ。」 その言葉を聞いた途端、せつなの胸の奥に、どくん、と熱い塊が生まれた。 「千香ちゃん。」 目の前の小さな相手に向き直る。胸いっぱいに広がって、どくどくと脈打つ熱に押されるように、その茶色い瞳に視線を合わせ、口を開いた。 「私も、あさって初めて学校に行くのよ。四つ葉中学校の、二年生になるの。」 「せつなおねえちゃん、転校生なの?」 そう思うのが、普通だろう。せつなは千香の目を見つめたまま、小さく頷く。 「私も学校に行くの、少し怖かったんだけど、千香ちゃんの言葉を聞いて、勇気をもらった。私も千香ちゃんに負けないように、精一杯頑張るわ!」 プリキュアになって、大切なものを守ろうと誓った。精一杯頑張っても、この道路を傷付けてしまったように、全てがうまくいくわけではない。 それでもこの子は、プリキュアが頑張っているから自分も頑張れると言ってくれた。プリキュアに負けないように、頑張ると言ってくれた。 それは裏を返せば、プリキュアはずっと頑張ってくれる、この町を守ってくれると信じているということ。そう思ったとき、今まで感じたこともないような力が身体の中から湧き上がってくるのを、せつなは感じたのだ。 先のことなんて何もわからないから、ただ今を精一杯頑張るだけだと思っていた。でも、精一杯頑張っていれば、未来の自分はきっと誰かを笑顔にできる、幸せにできるって、初めて信じられるような気がした。 (だから――私も千香ちゃんに負けないように、頑張ってみよう。) この世界の常識も、まだよく知らない自分。そんな自分が学校に行くことで、家族に迷惑をかけてはいけない――このところ、そのことばかりを考えていた。この世界では、一人の失敗が家族全員に降りかかることがある。特に子供の失敗は、親の責任にされてしまうということが、分かってきたからだ。 勿論、それは大事なことだと思う。何も言わずに自分を家族として受け入れてくれたあゆみや圭太郎に、これ以上迷惑なんてかけられない。 でも、千香の言葉を聞いたとき、それだけではいけないような気がした。失敗を怖れてただ様子を見ているだけでは、自分の世界を広げて、笑顔の種をたくさん見つけて行くことは出来ないような気がした。 だから、思い付く限りの準備をしたその後は、怖がらずに精一杯頑張ってみよう。ダンスレッスンを始めたときのように、自分から、一歩を踏み出してみよう。せつなはそう思いながら、千香の白くて細い手の上に、自分の手を重ねた。 千香がせつなの目を見返して、うん!と元気に頷く。 「千香ちゃん。もう一度、絵日記帳を見せてもらえるかしら。」 差し出された絵日記帳を、今度は自分で丁寧にめくる。スイカに花火、朝のラジオ体操、クローバーフェスティバルの屋台――。 やがて絵日記帳から顔を上げたせつなは、ニコリと笑って、それを千香に返した。 「ねえ、千香ちゃん。明日の朝、四つ葉町公園に来ない?私と三人の仲間が、あそこでダンスの練習をしてるの。もしよかったら、レッスンの前にみんなで遊びましょ。そうしたら、絵日記も完成できるんじゃないかしら。」 「うわぁ、せつなおねえちゃん、ありがとう!」 キラキラと輝く千香の顔を見ながら、せつなは心から嬉しそうに微笑んだ。 ☆ 次の日の朝。 「千香ちゃあん、久しぶり~!もうすっかり元気になったんだねっ!」 四つ葉町公園にやって来た千香は、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくるラブを見て、目を丸くした。 「ラブおねえちゃん・・・えーっ!?せつなおねえちゃんのお友達って、ラブおねえちゃんたちだったの?じゃあ、もしかして・・・。」 何か言いたそうな千香の先回りをするように、ラブがパチリと片目をつぶる。 「うん!本当は内緒なんだけど、せつなおねえちゃんも、プリキュアの友達なんだ。」 「本当は内緒って・・・。ラブ、あなたちっとも内緒にしてないじゃない。」 ラブの後ろで、せつなが苦笑しながら、黙っててごめんね、と小さく手を合わせた。まさか「プリキュアの友達」なんて話したとは思わなかったから、昨日この話を聞いたときには随分と呆れたものだ。 「お久しぶり、千香ちゃん。元気になって良かったわね。」 物陰から、クマの着ぐるみを着たシフォンを抱いて、美希が現れる。リンクルンも一緒に手に持っているところを見ると、どうやら慌ててシフォンを着替えさせたらしい。 「こんにちは、美希おねえちゃん。うわぁ、シフォンちゃん、久しぶり!」 千香は大喜びでシフォンを抱くと、きょとんとぬいぐるみのフリをしているその顔に頬ずりする。そして、きょろきょろと辺りを見回すと、不思議そうに首をかしげた。 「あれ?祈里おねえちゃんは?」 「ブッキーは、ちょっと用があって遅くなるんだって。もうすぐ来ると思うわ。」 美希がそう答えたとき。 「あーっ、いた!千香ちゃん、これ、見て見て!」 公園の入り口から、嬉しそうな大声と、パタパタという足音が聞こえた。 千香がパッと顔を輝かせて、声の方へと走る。やって来たのは、千香と同い年くらいの女の子。その両手に大事に抱えられているのは、小さな青紫の花を二つ咲かせた、朝顔の鉢だった。 女の子が、息を弾ませて語り出す。 「ほら、去年学校で育てた朝顔の種、千香ちゃんと交換したでしょ?あの種を蒔いて、やっと花が咲いたんだよ。だから千香ちゃんに、どうしても見せたかったんだ!」 「そうなの。千香ちゃんがここにいるって、よくわかったね。」 女の子と目の高さを合わせて、ラブが尋ねる。すると女の子の後ろから、ニコニコと笑みを浮かべた祈里が近付いてきた。 「わたしが教えたの。今朝うちの前で会って、千香ちゃんの家に行く途中だって聞いたから。千香ちゃんに、どうしても花の咲いた朝顔を見せて、励ましたかったんだって。新学期に間に合って良かった。」 千香は、小さいながらも誇らしげに咲いている朝顔と、同じくらい誇らしげな友の顔を見つめて、声を震わせながら言った。 「・・・ありがとう!」 ☆ 石造りのベンチの上に、うやうやしく置かれた朝顔の鉢。その後ろのベンチに座って、千香は一心にクレヨンを走らせる。千香の隣りでは、朝顔の持ち主が、紙の上に増えていく明るいクレヨンの線を、嬉しそうに見つめている。 せつなは、ラブと一緒に二人の後ろ姿を眺めながら、昨日感じた塊に似た、でももっと柔らかで優しい熱を、胸の中に感じていた。 自分は今、もしかしたら、袋の右端か、そのもっと向こうを見ているのかもしれない――そうせつなは思った。千香ちゃんが学校で、あの子と一緒に、今よりもっと元気で頑張っている姿が、見えるような気がする。 確かめたい気もしたが、残念ながら、まだここにはカオルちゃんは来ていない。それにせつなも、まだあまり自信がなかった。 不意に、ラブがせつなの手の上に、自分の手を重ねる。 「良かったね、せつな。千香ちゃんの絵日記、これでバッチリだよ!」 「そうね。こういうのが、幸せゲット、よね?」 いたずらっぽく笑うせつなに、キラリと目を輝かせて、ラブは大きく頷いた。 ☆ 「ねぇ、ブッキー。明日の始業式、ブッキーの学校も、いつもと同じ時間よね?少しだけ、早く家を出られない?」 ラブとせつなの二つ後ろのベンチで、美希は祈里に小声で問いかける。 「うん、大丈夫だよ。でも、どうして?」 怪訝そうに小首をかしげる祈里に、美希は一層声を低めて、早口で言った。 「ほら、明日からせつなも学校でしょ?本人は何も言わないけど、きっと不安もあると思うの。ラブは、せつなが制服姿を見せてくれない、なぁんて言ってたしね。だから・・・」 「商店街で待ち伏せして、さりげなく励ましてあげようってわけね?」 「ブッキー、声大きいわよ!」 嬉しそうに目を輝かせる祈里を、美希が慌てて抑え込む。それから二人は顔を見合わせて、声を忍ばせ、クツクツと笑った。 ☆ まだ涼しさを残す朝の風が、少女たちの間を吹き抜ける。今日は夏休み最後の日。期待と不安に満ちたそれぞれの新学期は、まさに目の前だ。 ~終~ ~第2章:響け!希望のリズム~ Episode9:四つ葉町、15時16分発へ続く
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ねぎぼうの140文字SS【2】 1.ラブせつで『見てないけど』/ねぎぼう 「美希、ラブ見なかった?」 「見てないけど」 「ほんと何処に……」 せつなが去っていく。 「ごめん、美希たん!」 「ラブ、一体何したの?」 「ニンジンわざと買い忘れたのがバレちゃって」 「それはラブが悪い」 「そんなあ……」 「ちゃんと謝ること!」 「はぁ~い」 (ナントカは犬も喰わぬ、かしら?) 2.ラブせつで『幸福な朝』/ねぎぼう 「なんだこのオムレツの赤いのは」 「皆まで言わせないで。貴方達の顔よ!でもやはり難しいわね」 「そう言えばあの世界にはコーヒーの上に絵を描くラテアートというのがあってね……」 「でもお前みたいに山ほど角砂糖入れてたら絵も何もないだろ?」…… ありがとう、ラブ。 今日も幸福な朝だわ。 3.ラブせつで『手だけつないで』/ねぎぼう 「みんなで……ゆうごはーん」 ラブの歌声にせつながそっと応える。 手だけつないでいても伝わってくる温かさそして幸せが、 歌うことを知らなかったせつなに歌声をも授けたかのようであった。 二人の少女は星空の下の丘を駆けていく。 つなぐその手は互いにつかみ取った幸せのクローバー。 4.ラブせつで『美しい終わり方』/ねぎぼう (あのまま寿命が終わるのを座して待つくらいなら、 貴女と戦っていっそ倒される方がまだ美しい終わり方だと思ってたわ。 なのに、貴女といるとやはり私の中で何かがおかしくなっていったの。 あの清々しさはこれで思い残すことはないという気持ちの筈だったのに……) せつなの中に生きるイースの戸惑い 5.ラブせつで『ありふれた日常の中の幸せ』/ねぎぼう 「今日の献立酢鳥だね」 「酢鳥だわ」 「ピーマン入ってるよ」 「ニンジンもね」 「残しちゃおっかなあ……」 「ダメよ、私、食べるわ」 「それじゃあたしも」 (忍耐の食事) 「デザートはプリンだよ!」 「ええ」 (一匙口にする) 「プリンおいしい~」 ありふれた日常の中の幸せを感じる三学期の給食タイム。 6.ラブせつで『ゲームを始めようか』/ねぎぼう 二人でお小遣いをためて開店前から並んでゲットした 人気のダンスゲームソフト。 「せつな、ゲームを始めようか」 ところが電源をオンしてもうんともすんとも言わない。 「ピーチはんそれ最近調子悪いんや、叩いてみ」 タルトとラブが叩いてみるも点かない。 「精一杯頑張るわ!」 せつなの一撃に 「あ……」 7.ラブせつで『受け止めてくれるのはあなただけ』/ねぎぼう もう受け止めてくれるのはあなただけじゃなかったのね。 独りだと思い込んでた私を、 最後は一人で始末をつけるしかないと思ってた私を 皆が受け止めてくれていたの。 でもね、信じて飛び込んで行くことを、手を伸ばすことを 教えてくれたのはあなたよ。 受け止めてくれたラブの温もりを忘れない、永遠に。 8.ラブせつで『若いときには無茶をしとけ』/ねぎぼう 「カオルちゃん、結婚したい人がいるんだ…… でも今の日本では出来ないの」 「なら、出来る国の国籍取っちゃえば?」 「それに今はこの世界にいないの」 「その世界に行ったらいいよ。杏より梅が安しってね」 「……うん、行ってくる!」 ラブが駆けていく。 「若いときには無茶をしとけ、だな。グハッ!」 9.ラブせつで『言えない我儘』/ねぎぼう 酢豚に入ったピーマンを見つけ、 遠慮がちに目でお願いするせつな。 「ラブ、それ苦手……」 もう一人の娘が見せる数少ない駄目さが今は愛おしい。 「せつなったら、もうしょうがないなあ。今日だけ……だよ」 滲んで見えない緑色を口に入れる。 最初で最後のいえない我儘は苦くて、しょっぱい味がした。 10.ラブせつで『目を閉じて、三秒(その1)』/ねぎぼう 「ねえ、せつな。ラブちゃんが最後におまじないしてあげる」 「おまじない?」 「目を開けているとできないんだよ」 目を閉じて、三秒…… 唇に温かさが伝わる。 「もう少し目をつぶってて」 涙は見せない。 笑顔で見送ると決めたんだから。 「これで大丈夫だよ」 目の周りをやや赤くした天使が微笑んだ。
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「ねぇ、せつなぁ、ここなんだけど――」 あはは、そっか、もうせつなは居ないんだ。 「あ~わかんないよ、せ……」 だから――もう居ないんだってば! せつな、今ごろ何してるのかな? ラビリンスにも学校とか宿題とかあるのかな。 お友達とか居るのかな? 一人っきりで寂しい顔してなきゃいいけど……。 「ラブ~入るわよ。はい、お茶とドーナツよ。夏休みの宿題は進んでる?――って……」 「え?――あっ、きゃっ、違う、これは違うの! お母さん」 回答用紙の隙間を埋め尽くした〝せつな〟の文字。 ちっとも似てないせつなの似顔絵。 笑顔を描いているのに、なんだか泣いているようにも見えた。 「ラブ……あなた……」 「だから違うの! たまたま問題が難しくて、せつななら解けるかなって思い出しちゃっただけで」 今消すから――って、あれ? どうして止めるの? お母さん。 「消さなくていいわ。さあ、せっちゃんが見てるわよラブ。負けてられないわよね?」 「うん――そうだね」 そう、負けてられない。せつなはきっと、今も精一杯がんばってる。 宿題なんて問題にならないくらいに、難しいことに挑んでるはずなんだから。 でも……お母さんの手、震えていた。ほんとうに、それが言いたかったからなの? そっか――たとえ落書きでも、せつなが居なくなるのを見たくなかったんだね。ごめんなさい、お母さん。 でもね、あたし思うんだ。 寂しいって気持ち。悲しいって気持ち。 それはね、そう感じるくらいに、せつなと過ごした時間が素敵だった証拠なんだよ。 お母さん。せつな。あたし頑張るよ。 そして――必ずみんなで幸せ、ゲットしようね。
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ラブ「今日は町内会の餅つき大会!みんなでお餅を丸めるお手伝いをするんだよっ。」 美希「とほほ・・・。誰よ、こんなときに晴れ着着て行こうなんて言いだしたのは・・・。」 祈里「美希ちゃんは、その姿もキリッとしててカッコいいと思う。」 美希「あ・・・りがと、ブッキー。」 せつな「これも、日本の伝統美なの?」 美希「そうね、伝統・・・は伝統かもしれないわね。」 カオルちゃん「いやぁ、晴れ着姿にたすき掛けか、イカすね、お嬢ちゃんたち!」 ラブ「ありがとう、カオルちゃん!」 美希「はぁ~。」 ――そして、餅つきが始まりました。 せつな「ラブ、大変よっ!四つ葉町にも魔人が現れたわ!」 美希「わぁぁっ、せつな、あれは違うのよ。リンクルン仕舞って!」 ラブ「見て見て、せつな。ああやってお餅をつくんだよっ。おじさんたち、手際よくてカッコいい! あ、カオルちゃんがつくんだ。カオルちゃぁん!カッコいいよぉ!」 カオルちゃん「サンキュー!言ったろ?おじさん、餅はついても嘘はつかないって。」 美希「それ・・・今言うことじゃないから。」 せつな「え?あれが、お雑煮に入ってたようなお餅になるの?」 祈里「そう。もち米を蒸かして、ああやって臼に入れて、杵でつくのが昔ながらのやり方なの。」 せつな「へぇ。二人一組で作るのね。」 祈里「そう。お餅が杵にくっつかないように手水をする人がいてね・・・え、ミユキさん!?ナナさん、レイカさんも!」 ミユキ「みんな見てて!餅つきもダンスと一緒、二人の呼吸を合わせるのが大事なのよ。それ、よいしょ!よいしょ!」 魚政の主人「トリニティが餅つきするたぁ、新年から縁起がいいや。いよっ!近頃の女の子はパワフルだね!」 タルト「ミユキはん・・・あんさんは、掛け声だけかいな。」 ――ひと臼つき上がりました。 魚政の主人「ほい、つき上がったよ。よろしくな~。」 駄菓子屋のおばあちゃん「あんたたち、餅を丸めるなんてしたことないだろ。ほら、こうやって水を手に付けて・・・」 ラブ「ふむふむ・・・あっついっ!!」 祈里「ラブちゃん、大丈夫?」 駄菓子屋のおばあちゃん「そりゃ熱いさ。ほら、素早く千切って餅取り粉の上に置いて行くんだよ。」 美希「何だか難しそう・・・。」 駄菓子屋のおばあちゃん「難しいことなんかあるかね。しょうがない、お手本見せてやるよ。・・・ほら、やってみな。」 ラブ「ダメだぁ。ねばねばしてるから、よけい熱いよぉ。」 せつな「しょうがないわね。貸して。」 祈里「・・・せつなちゃん、凄い!」 ラブ「うわぁ、見る見るうちにお餅の塊が並んでいくよ!」 美希「しかも、完璧に同じ大きさね。」 駄菓子屋のおばあちゃん「・・・・・・。ふん、こんなもんだね。」 魚政の主人「ばあさん、正月早々、相変わらず素直じゃねえなぁ。恐れ入りましたって、顔に書いてあるぜ?」 ――さあ、お餅を丸めましょう。 美希「こんなものかしら・・・。見て、きれいな丸い形。」 祈里「ふふっ、結構ハマるかも。楽しい。」 美希「なんかこの大きさと形って、何かを連想させるわね・・・。」 祈里「ヤダ、美希ちゃん、どこ見てるの?」 美希「ちっ、違うわよ!ラ、ラブは出来た?」 ラブ「うーん・・・出来た・・・かな?」 美希「・・・クローバーだからって、ハートマーク作ってどうするの。」 ラブ「違うよ、美希たん。うまく丸にならないんだよぉ。」 せつな「ねぇラブ、やっぱり桃園家では、元日に食べたみたいに、こういう四角いお餅にするの?」 美希「うわっ、せつな、これどうやって丸めたの?いや、これ、丸めたって言うか・・・」 魚政の主人「おうっ、もう伸し餅も作ったのかい?あれ?一切れだけ??」 ――出来上がり~。みんなで試食です。 ラブ「ん~、美味しい~!!」 せつな「ホント。それに、いろんな味付けがあって楽しいわ!」 祈里「つき立てって、こんなに柔らかいのね。」 美希「危ない危ない。食べ過ぎちゃいそうだから、気を付けないと。」 ラブ「今年もクローバーと、クローバータウンストリートのみんなで、幸せゲットだよ~!」 ~おわり~